1909年(明治42年)は、日本が対外関係を深める中で、大きな歴史的転機を迎えた年です。
この年、韓国統治を進めていた元老・伊藤博文がハルビン駅で暗殺され、国内外に大きな衝撃を与えました。
一方で、日本は韓国や満州への影響力をさらに強め、日韓協約の締結や満州をめぐる条約など、対外政策が大きく進展していきます。
つまり1909年は、「対外進出が進む中で、伊藤博文暗殺という大事件が起こり、時代の転換点となった年」といえます。
なぜ日本は大陸への関与を強めていったのか?
日露戦争後、日本は朝鮮や満州への影響力を拡大していきます。
伊藤博文暗殺事件は、その緊張の高まりを象徴する出来事となりました。
Q. 1909年は何が起きた?
A. 伊藤博文がハルビンで暗殺されました(ハルビン事件)。
Q. なぜ重要なのか?
A. 日本の対外政策、とくに朝鮮統治に大きな影響を与えたためです。
Q. この後どうなる?
A. 日本は韓国併合へと進みます。
→ 1910年(韓国併合)を見る
目次
1909年の重要出来事
- 伊藤博文がハルビンで安重根に暗殺された
- 韓国統監府による韓国支配がさらに強化された
- 日本の満州経営と大陸政策が進展した
- 桂園時代のもとで政党政治と藩閥政治が続いた
- 韓国併合へ向けた流れが急速に強まった
この年に始まったこと
1909年(明治42年)は、韓国統治の強化と満州経営の拡大が進められた年です。一方で、伊藤博文暗殺事件が発生し、日本の対外政策は新たな局面を迎えました。
- 韓国統治強化の新段階が始まった
統監府を中心に韓国への影響力拡大が進められ、日本による統治体制強化が本格化しました。 - 満州経営の拡大が始まった
南満州鉄道を中心として、鉄道・鉱業・都市開発など満州での事業展開が進みました。 - 東アジア政策の転換が始まった
伊藤博文暗殺事件を契機に、日本の韓国・満州政策はより強硬な方向へ進み始めました。 - 韓国併合への準備が本格化した
韓国統治をさらに進めるための政治的・行政的な準備が進められました。 - 大陸政策の新段階が始まった
日露戦争後に獲得した権益を基盤として、日本の大陸進出政策がさらに拡大しました。
1909年は、「韓国統治と満州経営の新段階が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1909年(明治42年)は、日本の韓国支配がさらに強まる中で、伊藤博文暗殺によって東アジア情勢が大きく揺れ動いた年でした。国内では産業発展が続く一方、帝国国家としての拡張路線も加速していきます。
伊藤博文暗殺によって東アジア情勢が緊張した
1909年、韓国統監を務めていた伊藤博文がハルビン駅で安重根に暗殺されました。この事件は日本国内に大きな衝撃を与え、韓国政策にも大きな影響を及ぼしていきます。
安重根によって韓国独立運動が世界へ知られた
韓国の独立運動家・安重根は、日本による韓国支配への抵抗として伊藤博文を襲撃しました。韓国側では民族独立運動の象徴的人物として認識されていきます。
韓国統監府によって韓国支配がさらに強化された
伊藤博文暗殺後、日本国内では「韓国統治をさらに強化すべき」という意見が強まりました。韓国統監府による支配はさらに拡大し、韓国併合への流れが加速していきます。
満鉄によって大陸進出が進展した
南満州鉄道株式会社(満鉄)は、鉄道経営だけでなく都市整備や調査活動も進め、日本の満州支配基盤を強化していきました。
重工業化によって産業国家化が進んだ
八幡製鉄所を中心に鉄鋼生産は拡大し、日本の重工業はさらに発展していきました。軍備拡張と産業発展は密接に結びついていきます。
韓国併合前夜の空気が強まった
伊藤博文暗殺をきっかけに、日本国内では韓国統治強化論が急速に広がりました。1909年は、翌1910年の韓国併合へつながる緊張感が一気に高まった一年でした。
この年の重要人物
1909年(明治42年)は、韓国統監を務めていた伊藤博文がハルビン駅で暗殺され、日本と韓国の関係に大きな衝撃を与えた年です。また、日露戦争後の東アジア秩序が再編される中で、日本の大陸政策は新たな局面を迎えました。この年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 伊藤博文
初代韓国統監として対韓政策を主導していましたが、10月26日にハルビン駅で暗殺されました。明治国家建設を支えた元老の死は国内外に大きな衝撃を与えました。 - 安重根
ハルビン駅で伊藤博文を射殺しました。韓国独立運動を象徴する人物として現在も評価されています。 - 桂太郎
内閣総理大臣として伊藤博文死後の政局と対韓政策に対応しました。明治後期政治の中心人物です。 - 曾禰荒助
伊藤博文の後任として韓国統監に就任しました。韓国統治政策を引き継ぎ、その後の日韓併合へつながる時代を担いました。
この年を彩った人物
- 森鷗外
『ヰタ・セクスアリス』を発表しました。発禁処分を受け、明治文学史上の大きな話題となりました。
出来事・事物起源・話題
- 1月9日
- アメリカに排日問題再び起こる
- 1月9日
- 李王世子殿下、学習院中学部に入学
- 1月12日
- 電車賃値上反対東京市民大会
- 1月22日
- 日露間に満鉄連絡条約成立
- 2月2日
- 小村寿太郎外相の外交方針演説、満韓移民集中論として衆議院で問題となる
- 2月9日
- モロッコに関する独仏協定
- 3月1日
- 森永チョコレート発売
- 3月10日
- 『平民評論』発行
- 3月11日
- 日糖事件が発覚し、代議士多数拘引される
- 3月21日
- 大阪毎日新聞社主催の神戸―大阪間マラソン競争
- 4月1日
- 東京に発明博覧会開催
- 4月1日
- 樺太の大泊港開港される
- 4月11日
- 日糖疑獄事件により、衆議院議員多数検挙される
- 4月13日
- 貴族院令改正公布
- 4月14日
- 新生児の種痘義務化の種痘法公布
- 5月25日
- 『自由思想』創刊
- 5月31日
- 相撲の常設館(国技館)が完成
- 6月2日
- 東京・両国の国技館竣工開館
- 6月6日
- 渋沢栄一、70歳に達し、財界引退を声明.第一銀行・東京貯蓄銀行を除く61の会社役員を辞任
- 6月23日
- 仕立屋銀次検挙
- 7月4日
- 樞府議長伊藤博文、韓国へ赴く
- 7月5日
- 東京代々木に練兵場設置
- 7月6日
- 閣議で韓国併合の方針を決定
- 7月12日
- 日韓新協約成り、韓国の司法及び警察事務を日本に委託せらる
- 7月18日
- 高崎第15連隊、野外演習中に日射病患者70余名を出す(内6名が死亡)
- 7月23日
- ウエストン(日本アルプス名付親)来日
- 7月30日
- 臨時軍用気球研究会創設(最初の航空施設)
- 7月31日
- 大阪市の大火(北区空心町より出火、約1万1,360戸焼失、北部市街全滅)
- 8月14日
- 東近江地方の大地震(死者30名、負傷者約160名、倒潰焼失家屋多数)
- 8月27日
- 軍用気球会長に陸軍中将長岡外史、任命される
- 9月4日
- 日清間の間島及び満州協約成立
- 9月22日
- 初めて外国より野球選手を招き、日米野球試合開かれる
- 10月11日
- 三井家、組織を変更、三井合名会社が設立される(銀行・物産・鉱山を株式会社組織にする)
- 10月25日
- 軍事機密発明特許規定公布
- 10月26日
- 伊藤博文、ハルピン駅頭で暗殺される(犯人は韓国人独立運動家・安重根)
- 10月29日
- 韓国銀行設立
- 11月2日
- イギリスのキッチナー元帥来朝
- 11月4日
- 日比谷にて伊藤博文公国葬
- 11月7日
- 東京本所に無料宿泊所解説
- 11月17日
- 山県有朋、枢密院議長に任命
- 11月21日
- 門司・鹿児島間、九州鉄道全通
- 11月28日
- 旅順表忠塔の除幕式挙行
- 12月8日
- チリ公使館開庁
- 12月9日
- 上野でグライダーの初滑走
- 12月16日
- 東京山の手鉄道、電化開通する
- 12月18日
- 米国、満州鉄道中立化案提議
- 12月24日
- 賀川豊彦、貧民窟で活動開始
- 12月24日
- 北里柴三郎博士、医学士の功に依り、ノルウェー皇帝より勲章を授与される
総理大臣
桂太郎(明治41年7月14日~明治44年8月30日)
生活の出来事
衣
- ベールの流行始まる
食
- ビヤホールができる
- 琺瑯びきの弁当箱が用いられ始める
住
- 八幡ガス(7月)・一宮ガス会社(8月)それぞれ開業
- 折りたたみ式寝台兼用安楽椅子販売の新聞広告あり
- 宮内省の各部局に南京虫が出る
- 三徳商店三徳瓦のほか、スレートをつくる事業を始める
- 下谷に二階建ての洋式長屋が建つ(東京における洋風長屋の最初)
- 家庭燃料としてのガスの宣伝や文明厨炉・改良カマド・石油コンロなどの新聞広告しきりにあり、またガスコークスが家庭燃料として登場し始めた
出版
- 『元禄快挙録』(福本日南)
- 『金色夜叉』(小栗風葉)
- 『邪宗門』(北原白秋)
- 『東京方眼図・東京地名索引』(森鴎外)
- 『後狩詞記』(柳田国男)
- 『パンの略取』(幸徳秋水訳)
- 『文芸百科全書』(島村抱月)
その他
- 種痘法公布
- 新聞紙法公布
- 八幡町民有志同盟を結成し、八幡製鉄所に対し購買会廃止を嘆願
- 上野より山手まわり電車、新橋まで開通
- 呉電気鉄道開業
- 鉄道青年会誕生
- 関西本線・鹿児島本線・高崎線鉄道全通
- 高峰博士タカジアスターゼの特許をとる
- 中部管理局は労働者の団体遊覧乗車に割引措置をとる旨を告知
- 東京商店の御用聞店員たち、毎日青山の原で自転車競走をなす
- 懐中電燈が利用されている
地方の出来事
北海道
- 無線電信開始のため、根室国の落石岬に電信局をつくる
近畿
- フェノロサの遺骨をロンドンより運び三井寺に葬る(滋賀)
中国
- 下関に振替貯金支局を新設し、中国・四国・九州の振替貯金を取扱う
九州
- 鹿児島線が全通する
1909年のポイントまとめ
- 伊藤博文がハルビンで暗殺された
初代内閣総理大臣・伊藤博文は、韓国統監辞任後にハルビン駅で安重根によって暗殺されました。 - 韓国併合への流れが加速した
伊藤博文暗殺事件をきっかけに、日本国内では韓国支配強化を求める声がさらに高まっていきました。 - 日本の大陸政策が大きな転換点を迎えた
満州・朝鮮半島への影響力拡大を進める中で、日本の帝国主義政策はさらに強化されていきました。 - 軍部や強硬派の発言力が強まり始めた
対外強硬論が広がり、日本政治における軍事的影響力も徐々に大きくなっていきました。 - 『坂の上の雲』後の時代変化を象徴する年であった
1909年は、日露戦争後の成功からさらに帝国拡大へ進む一方、日本の進路が大きく変わり始めた重要な年でした。
1909年は、伊藤博文暗殺によって日本外交と大陸政策が大きな衝撃を受けた年でした。 韓国支配強化や対外強硬論はさらに進み、日本は帝国国家としての色合いを強めていきます。 日露戦争後の成功から次の時代へ向かう中で、日本の進路が大きく変化し始めた重要な転換期となりました。
1909年のよくある質問 Q&A
Q. 1909年とはどんな年ですか?
1909年は、伊藤博文が暗殺され、 日本の対外政策に大きな衝撃を与えた年です。
Q. ハルビン事件とは何ですか?
伊藤博文がハルビン駅で韓国の独立運動家・安重根により暗殺された事件です。
Q. なぜ伊藤博文は狙われたのですか?
日本の朝鮮半島への影響力拡大に対する反発が背景にありました。
Q. 日本への影響は何ですか?
対外政策が強硬化し、 韓国併合への流れが加速しました。
Q. なぜ1909年は重要なのですか?
対外統治の緊張が表面化し、 日本の進路を大きく左右したためです。
Q. 1909年の出来事はその後どうつながりますか?
1910年の韓国併合へと進み、
日本の対外政策が大きく転換します。
→ 1910年(韓国併合)へ
Q. 他に重要な流れはありますか?
日本国内でもナショナリズムが高まり、 政策に影響を与えました。
Q. 1909年の重要人物は誰ですか?
伊藤博文、安重根などが重要人物です。
Q. 1909年は日本にとってどんな意味がありますか?
1909年は、日本の対外政策が転換し、 帝国主義的な動きが強まる契機となった年です。
伊藤博文暗殺後、日本はどのような道へ進んでいくのか?
朝鮮支配はさらに強まり、日本は大陸政策を本格化させていきます。
明治後期から次の時代へ向かう流れをあわせて理解できます。
