ゴールデンカムイの時代は何年?日露戦争後の日本を歴史から徹底解説
1907年(明治40年)は、日露戦争後の日本が「国家としての体制を整えた年」です。
戦争に勝利した日本は、軍事・交通・社会の各分野で国家の統制を強め、近代国家としての基盤を固めていきます。
鉄道の国有化、在郷軍人会の全国組織化、そして鉱山労働者の暴動など、この年には「国家の強化」と「社会のひずみ」が同時に現れました。
つまり1907年は、「強い国家へ進む日本」と「その裏で揺れる社会」が交差した重要な年といえます。
まず全体を把握
日露戦争後、日本はどのように変化していったのか?
戦後の日本は制度整備や国力強化を進め、近代国家としての体制を固めていきます。
明治維新からこの年に至るまでの流れを時系列で確認できます。
1907年のポイントQ&A
Q. 1907年は何が起きた?
A. 日本とロシアが日露協約を結び、対立関係が整理されました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 戦争後の勢力圏が確定し、日本の対外政策が安定したためです。
Q. この時代はどんな雰囲気?
A. 戦後の混乱と拡張が混ざる時代で、「ゴールデンカムイ」の背景にも近い時代です。
Q. この後どうなる?
A. 日本はさらに対外進出を進めていきます。
→ 1908年(拡張の継続)を見る
目次
1907年の重要出来事
- 日韓協約が締結され、韓国統監府の支配権が強化された
- ハーグ密使事件が発生し、高宗が退位へ追い込まれた
- 義務教育が6年制となり、近代教育制度が拡充された
- 満州経営と軍備拡張がさらに進展した
- 日本の韓国支配と帝国国家化が一層強まった
出来事・事物起源・話題
- 1月15日
- 日刊「平民新聞」が創刊される
- 1月19日
- ホッケー競技の最初の記録(慶應大学のホッケー倶楽部が横浜外人団と試合し、6対0で慶應が敗れる)
- 1月21日
- 東京株式相場が暴落する
- 1月31日
- 乃木希典が学習院院長に就任する
- 2月4日
- 足尾鉱山で坑夫が職員と衝突し、大暴動となり、軍隊が出動する
- 2月12日
- 三菱造船所で争議が起こる
- 2月12日
- 陸軍軍服がカーキ色となる
- 2月15日
- 廃兵院を東京渋谷に開設する
- 2月17日
- 第二回日本社会党大会が開かれ、議会政策派と直接行動派が対立する
- 2月19日
- 警視庁が自動車取締規則を制定する
- 2月22日
- 日本社会党が結社を禁止される
- 3月2日
- 衆議院で郡制廃止案が可決される
- 3月2日
- 夕張炭坑でストライキが起こり、炭坑争議が頻発する
- 3月15日
- ガブリエル・ヴォアザンにより、初めて復葉飛行機の発明に成功する(フランス)
- 3月16日
- 福田英子らが、女子の政治結社・集会参加を認めるよう治安警察法改正を請願する
- 3月17日
- 第十三師団から第十八師団に至る六個師団を、高田、宇都宮、豊橋、京都、岡山、久留米の各地に増設することが確定する
- 3月20日
- 勧業博覧会が東京上野で開かれる
- 3月21日
- 小学校令が改正される
- 3月21日
- 文豪夏目漱石が教壇を去る
- 3月31日
- 小学校令が改正され、義務教育が6年制となる
- 4月1日
- 絵葉書の表面に通信文を書くことが許される
- 4月9日
- 東京神田に在郷軍人団が創立される
- 4月16日
- 救世軍の総帥ウイリアム・ブース大将が来日し、横浜に入港する(20日参内拝謁)
- 4月19日
- フランスの飛行家ルイ・ブレリオにより初めて単葉飛行機が発明される(試験飛行中に破損失敗)
- 4月25日
- 長崎高等商業学校が開校する(現在の長崎大学)
- 4月26日
- 樺太海豹島のオットセイ捕獲が禁止される
- 4月28日
- 幌内炭坑で暴動が起こる
- 5月3日
- 夏目漱石が入社の辞を「朝日新聞」に発表する
- 5月16日
- 東京・青森間の鉄道が開通する(直通列車1日1回運転開始)
- 6月4日
- 別子銅山の坑夫が暴動を起こす
- 6月5日
- 皇后、日比谷公園における日本赤十字社総会に臨まれる
- 6月6日
- 別子銅山で暴動が起こる
- 6月10日
- パリにおいて日仏協約が成立し、調印される
- 6月13日
- ロシアと満州の鉄道接続について協定する
- 6月15日
- 豊原に樺太庁が開庁される
- 6月15日
- ハーグ密使事件が起こる
- 6月17日
- 首相西園寺公望が東京駿河台の自邸に文士招待会を催す(雨聲会と名づける)
- 6月22日
- 仙台に東北帝国大学が設立される
- 7月10日
- 元老大臣会議で韓国問題を議する
- 7月12日
- ハーグ平和会議密使事件を受け、対韓処理方針が決定される
- 7月15日
- 広島県矢野川が氾濫し、甚大な被害を出す
- 7月19日
- 韓国皇帝が譲位の詔勅を発し、各地で反日暴動が起こる
- 7月20日
- 豊国炭坑でガス爆発が起こり、死者340人余を出す
- 7月24日
- 伊藤博文が第三次日韓協約に調印する(日本人統監に韓国内政を統轄させる)
- 7月28日
- 日露通商条約および漁業協約が調印される
- 7月30日
- 第一回日露協約が調印される
- 8月1日
- 日本の軍隊解散命令により、韓国軍の反日抵抗が起こる
- 8月1日
- 樺太における最初の電話が大泊に開通する
- 8月7日
- 横綱常陸山一行が東京を発ち、渡米する
- 8月11日
- 朝鮮江華島事件が起こる(すぐに鎮圧)
- 8月25日
- 函館で大火が起こる(約1万2,000戸焼失)
- 8月29日
- 立教大学が創立される
- 8月31日
- 英露協商が成立する
- 9月1日
- 東北帝国大学に農科が開設される
- 9月1日
- 田山花袋が小説『蒲団』を発行する(自然派小説がこれより流行)
- 9月8日
- 北海道旭川・釧路間の鉄道が開通する
- 9月10日
- 東京・北海道間の電話が開通する
- 9月10日
- 樺太の日露境界画定が発表される
- 9月12日
- 札幌農科大学の開校式が挙行される
- 9月16日
- 神戸築港の起工式が行われる
- 9月18日
- 陸軍が六個師団を増設する(十三個師団から十九個師団に)
- 9月26日
- 専売局官制が公布される
- 9月30日
- チリに公使館が開設される
- 10月6日
- 大阪兵器廠で爆発事故が起こる(死傷者約100名)
- 10月10日
- 皇太子嘉仁親王が韓国へ行啓される
- 10月25日
- 第一回文部省美術展覧会(文展)が上野公園で開催される
- 10月31日
- ハワイのセントルイス球団が初の外国野球団として来日する(初の日米対抗野球試合)
- 11月13日
- 秋山真之が慶應野球部に「褌論」を贈る
- 11月23日
- 名古屋において開港式が挙行される
- 11月28日
- 最初のコロタイプ印刷を東京の村山旬吉が発明する(特許とする)
- 12月10日
- 九段で品川弥二郎銅像除幕式が行われる
- 12月15日
- 東京市の電車市有協定が成立する
- 12月29日
- 警視庁令により最初の自動車取締規則が出される(速力が規定される)
この年に始まったこと
1907年(明治40年)は、日露戦争後の国家発展を支える政策が本格化した年です。産業振興や教育拡充が進められ、日本は列強国家としての基盤強化を進めました。
- 第一次小学校令改正による義務教育6年制が始まった
義務教育期間が4年から6年へ延長され、国民教育の充実が始まりました。 - 東北帝国大学が開学した
東京・京都に続く帝国大学として東北帝国大学が設立され、高等教育の拡充が始まりました。 - 帝国国防方針が策定された
陸軍・海軍の整備方針を定める帝国国防方針が策定され、日本の近代国防体制が本格化しました。 - 日仏協約体制が始まった
日本とフランスの協力関係が強化され、東アジアをめぐる外交体制が新たな段階へ入りました。 - 戦後産業発展の新段階が始まった
日露戦争後の経済成長を背景に、重工業や教育投資を中心とする国家発展政策が進められました。
1907年は、「教育拡充と国防体制強化が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1907年(明治40年)は、日本が帝国国家としての体制をさらに強化した年でした。韓国支配や軍備拡張が進む一方で、国内では産業発展と社会問題の両方が目立つようになっていきます。
ハーグ密使事件によって韓国支配が強化された
韓国皇帝高宗は、オランダ・ハーグで開かれた万国平和会議へ密使を派遣し、日本の韓国支配を訴えました。しかし列強はこれを認めず、日本はさらに韓国への支配を強めていきます。
第三次日韓協約によって韓国統制が強まった
日本は第三次日韓協約を締結し、韓国内政への支配権をさらに拡大しました。韓国政府は実質的に日本統監府の管理下へ置かれ、併合への流れが加速していきます。
義兵運動によって韓国で反日抵抗が広がった
日本の支配強化に対して、韓国では義兵運動と呼ばれる武装抵抗が広がりました。日本は軍事力を用いて鎮圧を進め、韓国統治はさらに強硬化していきます。
足尾鉱毒問題によって公害問題が深刻化した
田中正造による訴えは続き、足尾鉱毒問題は日本社会の大きな社会問題となっていました。産業発展の裏側で、公害や農民被害も深刻化していきます。
軍備拡張によって帝国国家化が進んだ
日露戦争後も日本は軍備拡張を継続し、陸海軍強化を進めていました。列強国家としての地位維持と、大陸政策推進が重要視されていきます。
近代産業国家と帝国国家の両面が強まった
重工業・鉄道・軍備・植民地政策が同時に進み、日本は「産業国家」と「帝国国家」の両面を強めていきました。1907年は、日本の国家路線がさらに拡大志向へ進んだ一年でした。
この年の重要人物
1907年(明治40年)は、日露戦争後の国家整備が進む一方で、日韓協約(第三次日韓協約)が締結され、日本の韓国支配がさらに強まった年です。また、義務教育が6年制となるなど国内制度の整備も進められました。戦後日本の進路と対外政策を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 伊藤博文
韓国統監として韓国統治政策を進めました。第三次日韓協約の締結により、日本の影響力拡大の中心人物となりました。 - 後藤新平
満鉄総裁として満州経営を推進しました。日露戦争後の大陸政策を担った代表的人物です。 - 桂太郎
内閣総理大臣として戦後経営と対韓政策を主導しました。明治後期の政治を代表する人物です。 - 高宗
韓国皇帝としてハーグ密使事件を試みましたが、日本の圧力により退位へ追い込まれました。韓国近代史を語るうえで重要な人物です。
総理大臣
西園寺公望 (明治39年1月7日~明治41年7月14日)
生活の出来事
衣
- クリーニングの白洋舎開店
- 紐付きの足袋なくなってゆく
- 婦人の髪は二〇三高地の外に、七分三分にわける七三が流行し始める
- 東京にシンガーミシン裁縫女学院ができる
- ゴム靴海外輸出するに至る
食
- 精米機ナショナル号発明、その他各種精米機できる
住
- 栃木ガス(2月)、名古屋ガス(10月)会社それぞれ開業
出版
- 『歌日記』(森鴎外)
- 『文学論』(夏目漱石)
その他
- 東京渋谷の廃兵院開設
- 足尾銅山・別子銅山に坑夫の暴動起こる
- 政府、各地の鉄道を買収する
- 在郷軍人会全国的にできる
- 苦学生入用の新聞広告出る
地方の出来事
北海道
- 幌内炭坑で坑夫2,000名が賃上げを要求して暴動をおこす
- 札幌農学校を東北帝国大学の一分科として札幌農科大学を開校
- 函館に大火があり、約1万戸焼失
東北
- 仙台に東北帝国大学が創設される(宮城)
関東
- 宇都宮に新師団をおく(栃木)
- 三越がデパート経営をはじめる
- 渋谷の廃兵院開設
中部
- 諏訪湖にスケート場を開設する(長野)
- 岐阜・新発田に新しく師団をおく(岐阜・新潟)
- 日本女子大学が軽井沢に夏季寮を開設する(長野)
近畿
- 福知山に新師団をおく(京都)
中国
- 岡山に新師団をおく
四国
- 別子銅山の住友鉱業所の坑夫数百名が暴動をおこす(愛媛)
九州
- 久留米に新師団をおく
- 新見卯一郎らが社会主義の新聞「熊本評論」を創刊(熊本)
1907年のポイントまとめ
- 日露協約が締結された
日本とロシアは満州や朝鮮半島での権益を相互に確認し、対立から協調へ転じ始めました。 - 日本の韓国支配がさらに強化された
韓国統監府を通じて日本の影響力は拡大し、韓国への統制はより強まっていきました。 - 軍備拡張と帝国主義政策が続いた
日露戦争後も日本は陸海軍強化を進め、列強国家としての体制整備を続けました。 - 田中義一ら軍部の影響力が高まり始めた
戦後の軍備強化を背景に、軍部の政治的発言力は徐々に強まっていきました。 - 戦後日本が帝国国家として進み始めた年であった
1907年は、外交・軍事・対外支配の各分野で、日本が本格的な帝国主義国家へ進み始めた重要な年でした。
1907年は、日露協約締結によって日本外交が新たな段階へ入った年でした。 その一方で、韓国支配強化や軍備拡張も進み、日本は帝国国家としての色合いをさらに強めていきます。 日露戦争後の成功を背景に、日本の対外政策と軍事体制は大きく拡大していくことになりました。
1907年のよくある質問 Q&A
Q. 1907年とはどんな年ですか?
1907年は、日露協約が結ばれ、 日露戦争後の国際関係が安定した年です。
Q. 日露協約とは何ですか?
日本とロシアが互いの勢力圏を認め合い、 極東の秩序を維持するために結ばれた協定です。
Q. なぜ協約が必要だったのですか?
戦争後の対立を避け、 安定した国際関係を築くためです。
Q. 国内ではどのような動きがありましたか?
社会主義運動の取り締まりが強化されるなど、 国内統制が進められました。
Q. なぜ1907年は重要なのですか?
戦争後の国際秩序が確定し、 日本の対外政策が安定したためです。
Q. この時代はどのような社会でしたか?
戦争の影響が残る中で、 北海道開発や軍事経験を背景とした社会が広がっていました。 (※ゴールデンカムイの時代背景に近い)
Q. 1907年の出来事はその後どうつながりますか?
日本の対外進出がさらに進み、
国際政治への関与が強まります。
→ 1908年(次の展開)へ
Q. 他に重要な流れはありますか?
国内統制の強化と対外拡張が同時に進み、 日本は列強としての体制を固めていきました。
Q. 1907年の重要人物は誰ですか?
桂太郎、伊藤博文、ロシア側の指導者などが重要人物です。
Q. 1907年は日本にとってどんな意味がありますか?
1907年は、戦争の勝利を外交的に確定し、 列強としての地位を安定させた年です。
次に読むなら
近代国家としての日本は、この後どのように発展していくのか?
制度や産業の発展を背景に、日本はさらに国力を高めていきます。
明治後期の変化と大正時代への流れをあわせて理解できます。


