1904年(明治37年)の出来事

日露戦争開戦

今から122年前の出来事

この年の位置づけ

日露戦争開戦

日本はロシアとの戦争へ突入しました。旅順攻囲戦や黄海海戦など、大規模な戦闘が続いていきます。

1904年(明治37年)は、日本が国家の存亡をかけて大国ロシアに挑んだ年です。

この年、日本とロシアの間で日露戦争が勃発しました。
戦いの舞台は朝鮮半島と満州であり、日本は列強の一つであるロシアと正面から衝突することになります。

当時のロシアは世界有数の軍事大国であり、日本にとっては圧倒的な強敵でした。

つまり1904年は、「日本が大国に挑み、運命を切り開こうとした年」といえます。

まず全体を把握

なぜ日本はロシアとの戦争に踏み切ったのか?

満州と朝鮮をめぐる対立の中、日本は国運をかけた戦争へと突入します。
明治維新からこの年に至るまでの日本の発展を時系列で確認できます。

明治時代の流れを一気に理解する →
1904年のポイントQ&A

Q. 1904年は何が起きた?
A. 日本がロシアに宣戦布告し、日露戦争が始まりました。

Q. なぜ重要なのか?
A. アジアの小国だった日本が、欧州列強に挑んだ歴史的な戦争だからです。

Q. この後どうなる?
A. 戦争は激戦となり、1905年に勝敗が決まります。
1905年(日本海海戦・講和)を見る

1904年の重要出来事

対露宣戦御前会議
  • 日露戦争が開戦し、日本とロシアが全面戦争へ突入した
  • 旅順攻囲戦が始まり、激しい地上戦が展開された
  • 満州軍が編成され、日本陸軍の大規模作戦が進められた
  • 連合艦隊がロシア艦隊との戦闘を開始した
  • 国家総力戦体制が進み、日本国内で戦時色が強まった

出来事・事物起源・話題

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1月4日
最初の軍事参議官に、陸軍大将の野津道貫・黒木為楨・奥保鞏の3名が任命される
1月13日
小村寿太郎外相がロシアに対し、最終提案を提示する
1月23日
第1回社会主義婦人講演会が開かれる
1月28日
時局財政について懇談するため、首相官邸に銀行家を招く
2月4日
対露宣戦御前会議が開かれ、国交断絶の最終方針が決定される
2月5日
連合艦隊に出撃命令が下る
2月6日
連合艦隊が佐世保軍港を出動する
2月6日
ロシア政府に国交断絶を通告する
2月8日
日露国交断絶を各国に通告する
2月8日
臨時派遣軍(第12師団)が仁川に上陸を開始する
2月8日
連合艦隊が旅順のロシア艦隊を攻撃する(実戦で初めて無線電信を活用)
2月9日
連合艦隊が第一次旅順攻撃を行う
2月9日
仁川沖海戦
2月10日
ロシアに宣戦布告する(日露戦争開戦)
2月10日
岡倉天心・横山大観らが渡米する
2月11日
宮中に大本営が設置される
2月13日
戦時第1回国庫債が発行される
2月14日
陸軍予備少尉堀部直人が自殺する
2月17日
歌劇『蝶々夫人』がイタリア・ミラノのスカラ座で初演される
2月17日
閣議でロンドン市場における英貨公債募集の方針が決定される
2月18日
東京市外電車の車内が禁煙となる
2月19日
第1回旅順港閉塞隊が編成される
2月21日
クロパトキンが満州軍総司令官に就任する
2月21日
参謀本部が臨時軍用鉄道監部を編成する
2月21日
沖禎介・横川省三らの特別任務班が密かに北京を出発し、北満へ向かう
2月23日
林権助が日韓議定書に調印する
2月24日
日銀副総裁高橋是清が外国公債募集のためアメリカへ向かう
2月24日
第一次旅順港閉塞作戦が始まる
2月25日
大阪府立図書館が開館する
2月28日
旅順港閉塞隊に勅語を賜る
3月1日
第9回総選挙が行われる
3月10日
大阪の文楽座人形浄瑠璃で、初めて日露戦争を題材にした新作劇が上演される
3月13日
平民新聞社が社説に「与露社会党書」を掲載する
3月14日
第一軍主力2個師団が鎮南浦に上陸する
3月15日
第二軍の編成が決定される
3月21日
第一軍全軍が鎮南浦に上陸する
3月24日
幸徳秋水が『平民新聞』に「嗚呼増税!」を発表する
3月27日
第二次旅順港閉塞作戦が行われ、広瀬武夫中佐が戦死する
4月1日
非常特別税法・煙草専売法が公布される(実施は7月1日)
4月4日
日本軍が奉天省の義州を占領する
4月7日
兵庫県多紀郡岡野村今福に隕石が落下する(岡野隕石)
4月8日
英仏協商が成立する
4月11日
沖禎介・横川省三が北満李家地方でロシア警備隊に捕らえられる
4月11日
盛岡高等農林学校が設立される
4月20日
征露第二軍が広島を出発する
4月21日
沖禎介・横川省三がハルピン郊外で銃殺される
4月25日
朝鮮新浦沖で運送船金州丸がロシア艦隊に撃沈され、椎名大尉以下97名が殉難する
4月30日
第一軍が鴨緑江対岸のロシア兵を撃退しながら渡河を開始する
5月1日
第一軍が鴨緑江を渡河し、九連城を占領する(鴨緑江の戦い)
5月5日
第二軍が遼東半島への上陸を開始する
5月5日
帝国発明協会が創立される
5月6日
鳳凰城および普蘭店を占領し、連合艦隊が遼東半島を封鎖する
5月8日
東京で市民戦捷会が混乱し、20人が死亡する
5月8日
小樽で大火が発生する(2,481戸焼失)
5月12日
第1回ポンド公債を英米で募集開始する
5月19日
韓国政府がロシアと国交を断絶する
5月19日
独立第10師団が大孤山に上陸する
5月26日
第二軍が金州城を占領する(南山の戦い)
5月26日
乃木希典将軍が出征に向け、東京の自邸で送別の宴を開く
5月26日
旅順封鎖が宣言される
5月28日
第二軍が大連湾一帯を占領する
5月30日
第二軍が大連を占領する
5月31日
大本営が旅順攻撃のため第三軍の編成を決定する(司令官は乃木希典大将)
6月1日
第三軍司令官乃木希典将軍が広島を出発し、征露の途に就く
6月4日
乃木第三軍司令官が塩大澳に上陸する
6月6日
乃木希典・児玉源太郎・東郷平八郎が大将に昇進する
6月7日
賽馬集・林家宅を占領する
6月7日
乃木希典将軍が金州南山で『山川草木』の詩を吟じる
6月8日
第一軍が岫巌を占領する(岫巌の戦い)
6月12日
第一軍が懐仁県を占領する
6月15日
ウラジオストク艦隊が対馬海峡で常陸丸・和泉丸を撃沈し、佐渡丸を砲撃する(常陸丸事件
6月15日
第二軍が得利寺を占領する(得利寺の戦い)
6月17日
百三十銀行が臨時休業し、銀行界に混乱が起こる
6月20日
満州軍総司令部が編成される(総司令官は大山巌、総参謀長は児玉源太郎)
6月21日
遼東半島の能岳城を占領する
6月25日
芝浦製作所が設立される
6月26日
草河嶺・四道溝・剣山を占領する
6月27日
第一軍が分水嶺を占領する
6月29日
第一軍が北分水嶺を占領する
6月30日
第四軍が編成される
7月1日
煙草専売法が公布され、煙草の官営が実施される
7月6日
満州軍総司令官大山巌、同参謀長児玉源太郎が、東京を出発して征途に就く
7月9日
第二軍が蓋平を占領する(蓋平の戦い)
7月15日
芝公園に後藤象二郎伯の銅像が完成する
7月17日
第一軍が、摩天嶺へ反撃してきたロシア軍を撃退する(摩天嶺の戦い)
7月19日
第一軍が細河浴を占領する
7月20日
ウラジオ艦隊が津軽海峡を抜け、太平洋岸で汽船など5隻を撃沈する
7月21日
大石橋の激闘が始まる
7月23日
ロシアのウラジオ艦隊が九十九里浜沖に現れる(翌24日、伊豆沖を通過)
7月25日
第二軍が大石橋、営口を占領する
7月26日
旅順攻囲軍が前進を開始する
7月28日
旅順攻囲軍が安子嶺を占領する
7月30日
旅順攻囲軍が鳳凰山を占領する
7月31日
第二軍が栃木城を占領する
8月3日
第二軍が海城および牛荘城を占領する
8月8日
大狐山および小狐山を占領する
8月9日
旅順市街を砲撃する
8月10日
ロシア艦隊が旅順を出撃し、黄海で連合艦隊と海戦するも、主力は旅順に敗走する(黄海海戦)
8月12日
東郷平八郎司令長官に勅語を賜う
8月14日
第2インター第6回大会がアムステルダムで開かれ、片山潜が大会に出席する
8月14日
第二艦隊が蔚山沖でウラジオストク艦隊と海戦する(蔚山沖海戦
8月16日
乃木希典、東郷平八郎の両将軍が、敵将ステッセルへ勧降書を手交する
8月17日
ステッセルが勧降書を拒む
8月19日
第三軍が第一回旅順総攻撃を行う(旅順攻囲戦
8月22日
旅順攻囲軍が盤龍山を占領する
8月22日
第一次日韓協約が調印される(日本、財政・外交の実権を掌握)
8月25日
遼陽への大攻撃が始まる(遼陽会戦)
8月27日
蘇馬台、椅子山などを占領する
8月28日
右翼軍が鞍山站を占領する
8月29日
日本印度通商条約が調印される
9月1日
旅順の坑道作業が開始される
9月2日
首山堡を攻略する
9月4日
第一、二、四軍が遼陽を占領する(遼陽の会戦)
9月5日
日露戦役を記念した「郵便絵葉書」が売り出される
9月6日
総司令官大山巌に勅語を賜う
9月11日
煙台の石炭坑を占領する
9月19日
第三軍が要塞前面の前進堡塁群への攻撃を開始する
9月20日
海鼠山の全部を占領する
9月20日
米国ライト機が旋回飛行に成功し、出発地点に着陸する(旋回飛行の最初の記録)
9月21日
日露両軍が二百三高地で激戦を行う
9月24日
陸軍少将山本信行が旅順で戦死する
9月26日
小泉八雲、逝く
9月29日
徴兵令を改正する(後備兵5年制を延長して10年とする)
10月10日
第一・二・四軍が沙河の激戦を開始する(沙河会戦)
10月14日
沙河の激戦に勝利する
10月15日
バルチック艦隊がリバウ港を出港する
10月16日
満州軍総司令官大山巌に勅語を賜う
10月16日
鉢巻山の堡塁を占領する
10月21日
バルチック艦隊が英漁船を日本の駆逐艦と誤認して砲撃する(ドッガー・バンク事件)
10月26日
第三軍が第二回旅順総攻撃を開始する
10月27日
旅順総攻撃の右翼軍が歪頭山を占領する
10月28日
第二軍が貔子窩を占領する
10月30日
旅順総攻撃軍が、松樹山、二龍山、東鶏冠山、北砲台、P砲台を占領する
10月31日
旅順の北砲台を占領する
11月13日
「平民新聞」が「共産党宣言」を訳載し、発行禁止となる
11月14日
旅順攻撃に関し、御前会議が開かれる
11月16日
社会主義協会に結社禁止命令が出される
11月26日
第三軍が第三回旅順総攻撃を開始する
11月26日
旅順攻略で、「白襷隊」の決死攻撃が行われる
11月28日
第21回帝国議会が開かれる(初めて衆議院の議員席を党派別に分ける)
11月30日
二百三高地の一角を占領する(すぐに奪還される)
11月30日
乃木希典の次男保典少尉が戦死する
12月1日
米国ライト機が同乗者を乗せて飛翔し、操縦者以外の同乗者記録がここに始まる
12月5日
二百三高地を占領する(旅順港内のロシア艦隊への砲撃を開始)
12月14日
仏駐日大使が日本に和平を打診する
12月17日
ロシアの旅順艦隊が全滅する
12月18日
第三軍が東鶏冠山北砲台を占領する
12月20日
東京に三越呉服店(三井呉服店を改称)が開業する
12月28日
第三軍がついに二龍山を占領する
12月30日
連合艦隊司令長官東郷平八郎、第二艦隊司令長官上村彦之丞が東京に凱旋復命する
12月31日
第三軍が松樹山砲台を占領する

この年に始まったこと

1904年(明治37年)は、日本の命運をかけた日露戦争が始まった年です。陸軍・海軍ともに総力戦体制へ入り、『坂の上の雲』の主要な舞台となる戦いが幕を開けました。

  • 日露戦争が始まった
    2月、日本はロシアとの国交を断絶し、旅順港攻撃をもって日露戦争が始まりました。
  • 戦時大本営が設置された
    明治天皇のもとに大本営が設置され、国家を挙げた戦時体制が始まりました。
  • 旅順攻囲戦が始まった
    陸軍はロシア極東艦隊の拠点である旅順要塞への攻略作戦を開始しました。
  • 満州軍による対ロシア作戦が始まった
    児玉源太郎や大山巌の指揮のもと、満州での本格的な陸上作戦が開始されました。
  • 連合艦隊による制海権確保作戦が始まった
    東郷平八郎率いる連合艦隊が黄海・日本海での海上優勢確保へ向けた作戦を開始しました。

1904年は、「日露戦争が始まった年」でした。

この年は何が変わったのか

1904年(明治37年)は、日露戦争によって日本がロシアとの全面戦争へ突入した年でした。国家の総力をかけた戦争が始まり、日本は列強国家としての実力を世界へ示そうとする時代へ入っていきます。

日露戦争によって日本が総力戦へ突入した

1904年、日本はロシアとの交渉を打ち切り、日露戦争へ突入しました。満州と朝鮮半島をめぐる対立はついに全面戦争へ発展し、日本全国が戦時体制へ入っていきます。

旅順攻囲戦によって激しい陸上戦が始まった

日本陸軍はロシア軍拠点である旅順要塞攻略を進めました。旅順攻囲戦は激戦となり、多くの犠牲を出しながらも日本軍は攻略を目指していきます。

連合艦隊によって日本海軍が優位を築いた

東郷平八郎率いる連合艦隊は、ロシア艦隊への攻撃を進めました。海軍力を重視してきた日本は、制海権確保を重要戦略として戦争を進めていきます。

満州軍によって大規模陸軍作戦が展開された

児玉源太郎らが関わる満州軍は、大陸で大規模作戦を展開しました。近代国家として整備された徴兵制軍隊が、本格的な近代戦争を経験していきます。

国家総動員体制によって戦時色が強まった

政府は戦費調達や軍需生産拡大を進め、日本社会全体が戦争遂行へ動員されていきました。産業・経済・報道なども戦争と深く結びついていきます。

日本が列強国家として試される時代へ入った

日露戦争は、日本にとって単なる地域紛争ではありませんでした。欧米列強の一国であるロシアとの戦争を通じ、日本が「本当に列強国家となれるのか」が問われる戦いとなっていきます。

この年の重要人物

1904年(明治37年)は、日露戦争が開戦した年です。旅順攻略戦や黄海海戦など陸海で激しい戦いが始まり、日本は国家の総力を挙げてロシアとの戦争に臨みました。『坂の上の雲』の主要人物たちも歴史の表舞台で活躍を始めた重要な年です。

  • 東郷平八郎
    連合艦隊司令長官として日本海軍を指揮しました。旅順港閉塞作戦や黄海海戦などで日本海軍の中心的存在となりました。
  • 秋山真之
    連合艦隊参謀として作戦立案を担当しました。後の日本海海戦へつながる海軍作戦の中核を担った人物です。
  • 児玉源太郎
    満州軍総参謀長として陸軍作戦を統括しました。日本陸軍の実質的な作戦指導者として活躍しました。
  • 大山巌
    満州軍総司令官として陸軍全体を指揮しました。日露戦争における日本陸軍の最高指揮官です。
  • 乃木希典
    第三軍司令官として旅順攻略戦を指揮しました。旅順要塞攻略の中心人物として知られます。

この年を彩った人物

  • 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
    亡くなりました。日本文化を海外へ紹介した作家として、明治文化史に大きな足跡を残しました。

総理大臣

桂太郎(明治34年6月2日~明治39年1月7日)

生活の話題

  • 筒長の手袋の甲にガラス玉を飾ることが流行
  • 日露戦争中、神戸小学校にて女先生は袂つきものを廃し、筒袖を着るようにした

  • サイダーに王冠栓が用いられて、全国的に売れるようになった

出版

  • 『新楽劇論』(坪内逍遥)

地方の話題

北海道

  • 日露戦争に際して、函館要塞地域を臨戦地境とし、戒厳令を施行
  • 小樽の漁業家がサガレン漁業期成同盟会をつくり、樺太占領を請願
  • 北海道鉄道の函館・小樽間が全線開通する

四国

  • 四阪島の住友製錬所が竣工する(愛媛)

九州

  • 長崎・佐世保の要塞地帯と対馬沿岸を臨戦地域と定め、戒厳令を施行する

1904年のポイントまとめ

  • 日露戦争が開戦した
    日本はロシアとの外交交渉決裂を受けて開戦を決断し、日露戦争が始まりました。
  • 旅順攻囲戦や黄海海戦が行われた
    陸海軍は旅順攻略や制海権確保を目指し、激しい戦闘を展開しました。
  • 秋山真之ら海軍首脳が活躍した
    連合艦隊では東郷平八郎や秋山真之が作戦立案・指揮に関わり、日本海軍の中心として活躍しました。
  • 国家総力戦体制が本格化した
    日本は戦費調達・軍需生産・兵力動員を進め、国家全体で戦争遂行へ取り組みました。
  • 『坂の上の雲』の核心となる時代へ突入した年であった
    1904年は、秋山兄弟や正岡子規の時代背景と重なり、『坂の上の雲』を象徴する日露戦争が本格的に始まった重要な年でした。

1904年は、日露戦争開戦によって日本が国家の命運をかけた大戦争へ突入した年でした。 旅順攻囲戦や黄海海戦など激戦が続き、日本は総力戦体制を強めていきます。 『坂の上の雲』においても、秋山真之・東郷平八郎らが活躍する物語の中心時代へ入る重要な転換点となりました。

1904年のよくある質問 Q&A

Q. 1904年とはどんな年ですか?

1904年は、日本がロシア帝国と戦争を開始し、 日露戦争が勃発した年です。

Q. 日露戦争とは何ですか?

日本とロシアの間で行われた戦争で、 朝鮮半島や満州の支配を巡って争われました。

Q. なぜ戦争が起きたのですか?

朝鮮・満州を巡る利害対立が深まり、 外交交渉が決裂したためです。

Q. 日本はどのように戦いましたか?

奇襲攻撃(旅順攻撃)から戦闘が始まり、 陸海で激しい戦いが続きました。

Q. なぜ1904年は重要なのですか?

日本が初めて欧州列強と本格的に戦い、 国際的地位を大きく左右する戦争に突入したためです。

Q. 1904年の戦況はどうでしたか?

日本軍は苦戦しながらも戦いを続け、 長期戦の様相を呈しました。

Q. この戦争はその後どうなりますか?

1905年に日本海海戦などで決着し、 日本の勝利へとつながります。
1905年(戦争の結末)を見る

Q. 日本への影響は何ですか?

国力を大きく消耗する一方で、 列強の一員としての地位を確立する戦いとなりました。

Q. 1904年の重要人物は誰ですか?

東郷平八郎、乃木希典、秋山真之などが重要人物です。

Q. 1904年は日本にとってどんな意味がありますか?

1904年は、日本が世界の大国と対等に戦う覚悟を示した年です。

次に読むなら

日露戦争は、日本をどのように変えていったのか?

日本海海戦や講和条約を経て、日本は列強の一角として国際的地位を高めていきます。
戦争の結末とその後の変化をあわせて理解できます。

日露戦争後の流れを時系列で確認する →

時代の流れをもう少し広く見る

明治時代年表から、この年の前後をたどる

明治維新から日清・日露戦争、近代国家の形成までを時系列で整理しています。

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