広瀬武夫の名言・語録|旅順口閉塞に臨んだ覚悟の言葉
1904年(明治37年)は、日本が国家の存亡をかけて大国ロシアに挑んだ年です。
この年、日本とロシアの間で日露戦争が勃発しました。
戦いの舞台は朝鮮半島と満州であり、日本は列強の一つであるロシアと正面から衝突することになります。
当時のロシアは世界有数の軍事大国であり、日本にとっては圧倒的な強敵でした。
つまり1904年は、「日本が大国に挑み、運命を切り開こうとした年」といえます。
まず全体を把握
なぜ日本はロシアとの戦争に踏み切ったのか?
満州と朝鮮をめぐる対立の中、日本は国運をかけた戦争へと突入します。
明治維新からこの年に至るまでの日本の発展を時系列で確認できます。
1904年のポイントQ&A
Q. 1904年は何が起きた?
A. 日本がロシアに宣戦布告し、日露戦争が始まりました。
Q. なぜ重要なのか?
A. アジアの小国だった日本が、欧州列強に挑んだ歴史的な戦争だからです。
Q. この後どうなる?
A. 戦争は激戦となり、1905年に勝敗が決まります。
→ 1905年(日本海海戦・講和)を見る
目次
1904年の重要出来事

- 日露戦争が開戦し、日本とロシアが全面戦争へ突入した
- 旅順攻囲戦が始まり、激しい地上戦が展開された
- 満州軍が編成され、日本陸軍の大規模作戦が進められた
- 連合艦隊がロシア艦隊との戦闘を開始した
- 国家総力戦体制が進み、日本国内で戦時色が強まった
この年に始まったこと
1904年(明治37年)は、日本の命運をかけた日露戦争が始まった年です。陸軍・海軍ともに総力戦体制へ入り、『坂の上の雲』の主要な舞台となる戦いが幕を開けました。
- 日露戦争が始まった
2月、日本はロシアとの国交を断絶し、旅順港攻撃をもって日露戦争が始まりました。 - 戦時大本営が設置された
明治天皇のもとに大本営が設置され、国家を挙げた戦時体制が始まりました。 - 旅順攻囲戦が始まった
陸軍はロシア極東艦隊の拠点である旅順要塞への攻略作戦を開始しました。 - 満州軍による対ロシア作戦が始まった
児玉源太郎や大山巌の指揮のもと、満州での本格的な陸上作戦が開始されました。 - 連合艦隊による制海権確保作戦が始まった
東郷平八郎率いる連合艦隊が黄海・日本海での海上優勢確保へ向けた作戦を開始しました。
1904年は、「日露戦争が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1904年(明治37年)は、日露戦争によって日本がロシアとの全面戦争へ突入した年でした。国家の総力をかけた戦争が始まり、日本は列強国家としての実力を世界へ示そうとする時代へ入っていきます。
日露戦争によって日本が総力戦へ突入した
1904年、日本はロシアとの交渉を打ち切り、日露戦争へ突入しました。満州と朝鮮半島をめぐる対立はついに全面戦争へ発展し、日本全国が戦時体制へ入っていきます。
旅順攻囲戦によって激しい陸上戦が始まった
日本陸軍はロシア軍拠点である旅順要塞攻略を進めました。旅順攻囲戦は激戦となり、多くの犠牲を出しながらも日本軍は攻略を目指していきます。
連合艦隊によって日本海軍が優位を築いた
東郷平八郎率いる連合艦隊は、ロシア艦隊への攻撃を進めました。海軍力を重視してきた日本は、制海権確保を重要戦略として戦争を進めていきます。
満州軍によって大規模陸軍作戦が展開された
児玉源太郎らが関わる満州軍は、大陸で大規模作戦を展開しました。近代国家として整備された徴兵制軍隊が、本格的な近代戦争を経験していきます。
国家総動員体制によって戦時色が強まった
政府は戦費調達や軍需生産拡大を進め、日本社会全体が戦争遂行へ動員されていきました。産業・経済・報道なども戦争と深く結びついていきます。
日本が列強国家として試される時代へ入った
日露戦争は、日本にとって単なる地域紛争ではありませんでした。欧米列強の一国であるロシアとの戦争を通じ、日本が「本当に列強国家となれるのか」が問われる戦いとなっていきます。
この年の重要人物
1904年(明治37年)は、日露戦争が開戦した年です。旅順攻略戦や黄海海戦など陸海で激しい戦いが始まり、日本は国家の総力を挙げてロシアとの戦争に臨みました。『坂の上の雲』の主要人物たちも歴史の表舞台で活躍を始めた重要な年です。
- 東郷平八郎
連合艦隊司令長官として日本海軍を指揮しました。旅順港閉塞作戦や黄海海戦などで日本海軍の中心的存在となりました。 - 秋山真之
連合艦隊参謀として作戦立案を担当しました。後の日本海海戦へつながる海軍作戦の中核を担った人物です。 - 児玉源太郎
満州軍総参謀長として陸軍作戦を統括しました。日本陸軍の実質的な作戦指導者として活躍しました。 - 大山巌
満州軍総司令官として陸軍全体を指揮しました。日露戦争における日本陸軍の最高指揮官です。 - 乃木希典
第三軍司令官として旅順攻略戦を指揮しました。旅順要塞攻略の中心人物として知られます。
この年を彩った人物
- 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
亡くなりました。日本文化を海外へ紹介した作家として、明治文化史に大きな足跡を残しました。
出来事・事物起源・話題
- 1月4日
- 最初の軍事参議官任命(陸軍大将野津道貫、黒木為楨、奥保鞏の3名)
- 1月13日
- 小村寿太郎外相、ロシアに対し、最終提案を提示
- 1月23日
- 第1回社会主義婦人講演会
- 1月28日
- 時局財政につき懇談のため、首相官邸に銀行家を招待する
- 2月4日
- 対露宣戦御前会議(元老、閣僚の御前会議にて、国交断絶の最終案を決定し、ロシア外相に通告)
- 2月5日
- 連合艦隊に出撃命令
- 2月6日
- 連合艦隊、佐世保軍港出動
- 2月6日
- ロシア政府に国交断絶を通告
- 2月8日
- 日露国交断絶を各国に通告
- 2月8日
- 臨時派遣軍(第12師団)仁川に上陸開始
- 2月8日
- 連合艦隊、旅順のロシア艦隊攻撃(実戦に初めて無線電信を活用)
- 2月9日
- 連合艦隊、第一次旅順攻撃
- 2月9日
- 仁川沖海戦
- 2月10日
- ロシアに宣戦布告(日露戦争開戦)、第1軍の編成決定、露国駐在公使栗野慎一郎ロシア引揚げ
- 2月10日
- 岡倉天心・横山大観ら渡米する
- 2月11日
- 宮中に大本営設置
- 2月13日
- 戦時第一回国庫債発行
- 2月14日
- 陸軍予備少尉堀部直人自殺
- 2月17日
- 歌劇「蝶々夫人」(プッチーニ作曲)、イタリアミラノのスカラ座で初演
- 2月17日
- 閣議、ロンドン市場での英貨公債募集の方針を決定
- 2月18日
- 東京市外電車、車内禁煙となる
- 2月19日
- 第一回の旅順閉塞隊を編成
- 2月21日
- クロパトキン、満州軍総司令官に就任
- 2月21日
- 参謀本部、臨時軍用鉄道監部を編成(京城・新義州間鉄道建設にあたる)
- 2月21日
- 沖禎介、横川省三らの特別任務班、密かに北京を出発して北満に向う
- 2月23日
- 林権助、日韓議定書に調印(日韓国防同盟締結)
- 2月24日
- 日銀副総裁高橋是清、外国公債募集のためアメリカに向かう
- 2月24日
- 第一次旅順口閉塞作戦開始
- 2月25日
- 大坂府立図書館開館
- 2月28日
- 旅順口閉塞隊に勅語を賜う
- 3月1日
- 第9回総選挙
- 3月10日
- 大阪の文楽座人形浄瑠璃に初めて新劇を試み、日露戦争劇を脚色上演
- 3月13日
- 平民新聞社は社説にて「与露社会党書」を掲載
- 3月14日
- 第一軍主力二個師団、鎮南浦上陸
- 3月15日
- 第二軍の編成決定
- 3月21日
- 第一軍、全員鎮南浦に上陸
- 3月24日
- 幸徳秋水、「平民新聞」に「嗚呼増税!」
- 3月27日
- 第二次旅順閉塞作戦(広瀬武夫中佐戦死)
- 4月1日
- 非常特別税法、煙草専売法公布(実施は7月1日)
- 4月4日
- 日本軍、奉天省の義州を占領する
- 4月7日
- 兵庫県多紀郡岡野村今福に隕石落下(岡野隕石)
- 4月8日
- 英仏協商成立
- 4月11日
- 沖禎介、横川省三の両士、北満李家地方においてロシア警備隊に捕らえられる
- 4月11日
- 盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)設立
- 4月20日
- 征露第二軍、広島を出発
- 4月21日
- 特別任務班沖禎介、横川省三、ハルピン郊外で銃殺に処せられる
- 4月25日
- 朝鮮新浦沖において運送船金州丸、ロシア艦隊に撃沈され、椎名大尉以下97名殉難
- 4月30日
- 第一軍、鴨緑江対岸のロシア兵を撃退しつつ、順次渡河(虎山その他の要所占領)
- 5月1日
- 第一軍、鴨緑江を渡河し、九連城占領 (鴨緑江の戦い)
- 5月5日
- 第二軍、遼東半島上陸開始
- 5月5日
- 帝国発明協会創立
- 5月6日
- 鳳凰城及び普蘭店占領、連合艦隊遼東半島を封鎖する
- 5月8日
- 東京で市民戦捷会混乱、20人死亡
- 5月8日
- 小樽の大火(2,481戸焼失)
- 5月12日
- 第1回ポンド公債(1,000ポンド)を英米で募集開始
- 5月19日
- 韓国政府、ロシアと国交断絶
- 5月19日
- 独立第10師団、大孤山に上陸
- 5月26日
- 第二軍、金州城占領(南山の戦い)
- 5月26日
- 乃木希典将軍、出征に向けて東京の自邸で送別の宴を催す
- 5月26日
- 旅順封鎖宣言
- 5月28日
- 第二軍、大連湾一帯を占領
- 5月30日
- 第二軍、大連を占領
- 5月31日
- 大本営、旅順攻撃のため、第3軍の編成を決定(司令官乃木希典大将)
- 6月1日
- 第三軍司令官乃木希典将軍、広島を出発して征露の途に就く
- 6月4日
- 乃木第三軍司令官、塩大墺上陸
- 6月6日
- 陸軍中将乃木希典、児玉源太郎、海軍中将東郷平八郎の諸将、大将に昇進
- 6月7日
- 賽馬集、林家宅を占領
- 6月7日
- 乃木希典将軍、金州南山にて『山川草木』の詩を吟ず
- 6月8日
- 第一軍、岫巌を占領(岫巌の戦い)
- 6月12日
- 第一軍、懐仁県を占領
- 6月15日
- ウラジオストク艦隊、対馬海峡で常陸丸・和泉丸を撃沈、佐渡丸を砲撃
- 6月15日
- 第二軍、得利寺を占領(得利寺の戦い)
- 6月17日
- 百三十銀行臨時休業、銀行界の混乱起こる
- 6月20日
- 満州軍総司令部を編成(総司令官に大山巌、総参謀長に児玉源太郎、参謀総長に山県有朋元帥)
- 6月21日
- 遼東半島の能岳城を占領
- 6月25日
- 芝浦製作所設立
- 6月26日
- 草河嶺、四道溝、剣山占領
- 6月27日
- 第一軍、分水領を占領
- 6月29日
- 第一軍、北分水領を占領
- 6月30日
- 第四軍を編成
- 7月1日
- 煙草の官営実施(煙草専売法公布)
- 7月6日
- 満州軍総司令官大山巌、同参謀長児玉源太郎、東京を進発征途に就く
- 7月9日
- 第二軍、蓋平を占領(蓋平の戦い)
- 7月15日
- 芝公園に後藤象二郎伯の銅像成る
- 7月17日
- 第一軍、摩天嶺へ反撃のロシア軍を撃退(摩天嶺の戦い)
- 7月19日
- 第一軍、細河浴を占領
- 7月20日
- ウラジオ艦隊、津軽海峡を抜け太平洋岸で汽船など5隻を撃沈
- 7月21日
- 大石橋の激闘開始
- 7月23日
- ロシアのウラジオ艦隊、九十九里浜沖に現る(翌24日、伊豆沖を通過)
- 7月25日
- 第二軍、大石橋、営口を占領
- 7月26日
- 旅順攻囲軍、前進を開始
- 7月28日
- 旅順攻囲軍、安子嶺を占領
- 7月30日
- 旅順攻囲軍、鳳凰山を占領
- 7月31日
- 第二軍、栃木城を占領
- 8月3日
- 第二軍、海城及び牛荘城を占領
- 8月8日
- 大狐山及び小狐山を占領
- 8月9日
- 旅順市街を砲撃
- 8月10日
- ロシア艦隊、旅順を出撃し黄海で連合艦隊と海戦、主力は旅順に敗走(黄海海戦)
- 8月12日
- 東郷平八郎司令長官に勅語を賜う
- 8月14日
- 第2インター第6回大会(アムステルダム)、片山潜大会出席
- 8月14日
- 第二艦隊、蔚山沖でウラジオストク艦隊と海戦(1隻を撃沈、2隻撃破)
- 8月16日
- 乃木希典、東郷平八郎の両将軍、敵将ステッセルへ勧降書を手交する
- 8月17日
- ステッセル、勧降書を卻く
- 8月19日
- 第三軍、第一回旅順総攻撃
- 8月22日
- 旅順攻囲軍、盤龍山を占領
- 8月22日
- 第一次日韓協約調印(日本、財政・外交の実権を掌握)
- 8月25日
- 遼陽の大攻撃開始(遼陽会戦)
- 8月27日
- 蘇馬台、椅子山等を占領
- 8月28日
- 右翼軍、鞍山站を占領
- 8月29日
- 日本印度通商条約調印成る
- 9月1日
- 旅順の坑道作業開始される
- 9月2日
- 首山堡を攻略
- 9月4日
- 第一、二、四軍、遼陽を占領(遼陽の会戦)
- 9月5日
- 日露戦役を記念した「郵便絵葉書」が売り出される
- 9月6日
- 総司令官大山巌に勅語を賜う
- 9月11日
- 煙台の石炭坑を占領
- 9月19日
- 第三軍、要塞前面の前進堡塁群への攻撃開始
- 9月20日
- 海鼠山全部を占領
- 9月20日
- 米国ライト機、旋回飛行に成功し出発地点に着陸(旋回飛行の最初の記録)
- 9月21日
- 日露両軍、二百三高地の激戦
- 9月24日
- 陸軍少将山本信行、旅順に戦死
- 9月26日
- 小泉八雲、逝く
- 9月29日
- 徴兵令を改正(後備兵5年制を延長して10年となす)
- 10月10日
- 第一・二・四軍、沙河の激戦開始(沙河会戦)
- 10月14日
- 沙河の激戦に勝利
- 10月15日
- バルチック艦隊、リバウ港出港
- 10月16日
- 満州軍総司令官大山巌に勅語を賜う
- 10月16日
- 鉢巻山の堡塁を占領
- 10月21日
- バルチック艦隊、英漁船を日本の駆逐艦と誤認して砲撃(ドッガー・バンク事件)
- 10月26日
- 第三軍、第二回旅順総攻撃を開始
- 10月27日
- 旅順総攻撃の右翼軍、歪頭山を占領
- 10月28日
- 第二軍、貔子窩を占領
- 10月30日
- 旅順総攻撃軍、松樹山、二龍山、東鶏冠山、北砲台、P砲台占領
- 10月31日
- 旅順の北砲台を占領
- 11月13日
- 「平民新聞」、「共産党宣言」を訳載、発行禁止
- 11月14日
- 旅順攻撃に関し御前会議開かれる
- 11月16日
- 社会主義協会に結社禁止命令
- 11月26日
- 第三軍、第三回旅順総攻撃を開始
- 11月26日
- 旅順攻略、「白襷隊」の決死攻撃
- 11月28日
- 第21回帝国議会開催(初めて衆議院の議員席を党派別に分ける)
- 11月30日
- 二百三高地の一角を占領(すぐに奪還される)
- 11月30日
- 乃木希典の次男保典少尉戦死
- 12月1日
- 米国ライト機に同乗者を搭載飛翔、操縦者以外の同乗者記録ここに始まる
- 12月5日
- 二百三高地を占領(旅順港内のロシア艦隊に砲撃開始)
- 12月14日
- 仏駐日大使、日本に和平の打診
- 12月17日
- ロシアの旅順艦隊全滅
- 12月18日
- 第三軍、東鶏冠山北砲台を占領
- 12月20日
- 東京に三越呉服店(三井呉服店改め)開業
- 12月28日
- 第三軍、遂に二龍山を占領
- 12月30日
- 連合艦隊司令長官東郷平八郎、第二艦隊司令長官上村彦之亟、東京に凱旋復命
- 12月31日
- 第三軍、松樹山砲台を占領
総理大臣
桂太郎(明治34年6月2日~明治39年1月7日)
生活の話題
衣
- 筒長の手袋の甲にガラス玉を飾ることが流行
- 日露戦争中、神戸小学校にて女先生は袂つきものを廃し、筒袖を着るようにした
食
- サイダーに王冠栓が用いられて、全国的に売れるようになった
出版
- 『新楽劇論』(坪内逍遥)
地方の話題
北海道
- 日露戦争に際して、函館要塞地域を臨戦地境とし、戒厳令を施行
- 小樽の漁業家がサガレン漁業期成同盟会をつくり、樺太占領を請願
- 北海道鉄道の函館・小樽間が全線開通する
四国
- 四阪島の住友製錬所が竣工する(愛媛)
九州
- 長崎・佐世保の要塞地帯と対馬沿岸を臨戦地域と定め、戒厳令を施行する
1904年のポイントまとめ
- 日露戦争が開戦した
日本はロシアとの外交交渉決裂を受けて開戦を決断し、日露戦争が始まりました。 - 旅順攻囲戦や黄海海戦が行われた
陸海軍は旅順攻略や制海権確保を目指し、激しい戦闘を展開しました。 - 秋山真之ら海軍首脳が活躍した
連合艦隊では東郷平八郎や秋山真之が作戦立案・指揮に関わり、日本海軍の中心として活躍しました。 - 国家総力戦体制が本格化した
日本は戦費調達・軍需生産・兵力動員を進め、国家全体で戦争遂行へ取り組みました。 - 『坂の上の雲』の核心となる時代へ突入した年であった
1904年は、秋山兄弟や正岡子規の時代背景と重なり、『坂の上の雲』を象徴する日露戦争が本格的に始まった重要な年でした。
1904年は、日露戦争開戦によって日本が国家の命運をかけた大戦争へ突入した年でした。 旅順攻囲戦や黄海海戦など激戦が続き、日本は総力戦体制を強めていきます。 『坂の上の雲』においても、秋山真之・東郷平八郎らが活躍する物語の中心時代へ入る重要な転換点となりました。
1904年のよくある質問 Q&A
Q. 1904年とはどんな年ですか?
1904年は、日本がロシア帝国と戦争を開始し、 日露戦争が勃発した年です。
Q. 日露戦争とは何ですか?
日本とロシアの間で行われた戦争で、 朝鮮半島や満州の支配を巡って争われました。
Q. なぜ戦争が起きたのですか?
朝鮮・満州を巡る利害対立が深まり、 外交交渉が決裂したためです。
Q. 日本はどのように戦いましたか?
奇襲攻撃(旅順攻撃)から戦闘が始まり、 陸海で激しい戦いが続きました。
Q. なぜ1904年は重要なのですか?
日本が初めて欧州列強と本格的に戦い、 国際的地位を大きく左右する戦争に突入したためです。
Q. 1904年の戦況はどうでしたか?
日本軍は苦戦しながらも戦いを続け、 長期戦の様相を呈しました。
Q. この戦争はその後どうなりますか?
1905年に日本海海戦などで決着し、
日本の勝利へとつながります。
→ 1905年(戦争の結末)を見る
Q. 日本への影響は何ですか?
国力を大きく消耗する一方で、 列強の一員としての地位を確立する戦いとなりました。
Q. 1904年の重要人物は誰ですか?
東郷平八郎、乃木希典、秋山真之などが重要人物です。
Q. 1904年は日本にとってどんな意味がありますか?
1904年は、日本が世界の大国と対等に戦う覚悟を示した年です。
次に読むなら
日露戦争は、日本をどのように変えていったのか?
日本海海戦や講和条約を経て、日本は列強の一角として国際的地位を高めていきます。
戦争の結末とその後の変化をあわせて理解できます。





