blog

秋山真之の経歴(官歴)

  • 公開日:2022/05/21
  • 最終更新日:2022/07/03
秋山真之の経歴

大正7年に発行された『秋山眞之七七日忌念写真帖』及び昭和8年に秋山眞之会より発行された伝記『秋山眞之』より、秋山真之の経歴をまとめました。

秋山真之の経歴

1868年(慶応4年・明治元年)

3月20日
父・秋山久敬と母貞の五男として誕生

1875年(明治8年)

 
勝山小学校に入校

1879年(明治12年)

 
松山中学校に入校
両親並に12歳の時

1880年(明治13年)

 
近所で花火を上げ、警察に検挙される

1881年(明治14年)

 
この頃、歌人井出正雄に就いて和歌を学ぶ

1883年(明治16年)

6月
正岡子規が上京
 
兄・好古のおかげで真之も上京、共立学校に入校

1884年(明治17年)

 
東京大学予備門に合格入校

1885年(明治18年)

 
この頃、兄・好古の下宿を出て、神田猿楽町に子規と下宿する(真之が出た後に、兄・好古の家に下宿したのは白川義則)

官歴

1886年(明治19年)

 
東京大学予備門を退学する
10月30日
築地の海軍兵学校に入校(17期生)

1887年(明治20年)

7月25日
学術優等に付英和辞典一冊、操出鉛筆一本授与する

1888年(明治21年)

7月16日
学術優等に付き短剣一腰授与する

1889年(明治22年)

7月19日
学術優等に付き優等章を授与する

1890年(明治23年)

7月17日
海軍兵学校を首席で卒業
海軍少尉候補生、 実地訓練の為、「比叡」乗組
12月19日
父・久敬没
秋山真之
少尉候補生

1891年(明治24年)

5月23日
トルコ国皇帝陛下贈与救難章受領、佩用充許
6月4日
「比叡」乗組を解き、「高千穂」乗組

1892年(明治25年)

5月23日
海軍少尉、「龍驤」分隊士
7月6日
叙正八位
秋山真之
少尉

1893年(明治26年)

4月25日
本職を解き、「松島」航海士
6月1日
イギリスにて製造の軍艦「吉野」の回航委員に命ぜられる
6月7日
イギリスへ出張、「吉野」分隊士

1894年(明治27年)

4月23日
本職を解き、「筑紫」航海士
8月
日清戦争勃発
9月
黄海海戦
12月30日
大宴会で仁礼景一と大格闘をし、前歯3本を折られる
12月31日
大人気なかったと反省し、仁礼を訪ね謝罪する

1895年(明治28年)

4月
日清講和条約調印
7月29日
本職を解き、「和泉」分隊士
11月18日
本職を解き、「大島」航海士兼分隊士
明治廿七八戦役の功に依り勲六等単光旭日章及び200円下賜
明治廿七八戦役従軍記章授与

1896年(明治29年)

1月4日
本職及び兼職を解き、海軍水雷術練習所学生仰付
5月11日
海軍水雷術練習所乙種教程卒業
海軍水雷術練習場学生被免、 横須賀水雷団第二水雷艇隊附
7月7日
本職を解き、「八重山」分隊長心得仰付
10月24日
海軍大尉、「八重山」分隊長
11月17日
本職を解き、海軍軍令部諜報課課員、中国東北部にて諜報活動
12月21日
叙従七位
秋山真之(大尉)
大尉(海軍軍令部諜報課員)

1897年(明治30年)

6月26日
本職を解き、米国駐在武官(アメリカ留学)
秋山真之
大尉(アメリカ留学中)

1898年(明治31年)

3月8日
叙正七位
6月2日
米西戦争を観戦武官とともに観戦
8月3日
退艦

1899年(明治32年)

2月8日
アメリカ北大西洋艦隊旗艦「ニューヨーク」号へ研学の為乗組
4月25日
アメリカ留学を解き、アメリカ駐在仰付
9月4日
退艦
12月27日
アメリカ駐在を解き、イギリス駐在武官(イギリス留学)
 
この年、「天剣漫録」を綴る

1900年(明治33年)

4月6日
イギリス視察の広瀬武夫と合流する
5月20日
帰朝仰付
6月14日
広瀬武夫を見送る
8月21日
イギリス駐在を解き、海軍省軍務局課員
10月31日
本職を解き、常備艦隊参謀

1901年(明治34年)

10月1日
海軍少佐
12月17日
叙従六位
12月28日
明治卅三年清国事変における功に依り金100円下賜

1902年(明治35年)

7月17日
本職を解き、海軍大学校戦術教官
9月19日
正岡子規没
秋山真之
少佐(海軍大学校教官)

1903年(明治36年)

4月
海軍大学校で講義を行う
6月2日
稲生真覆の三女・李子(すえこ)と結婚
10月27日
本職を解き、常備艦隊参謀
第一艦隊参謀(第一艦隊司令長官幕僚)

1904年(明治37年)

2月
日露戦争勃発、第1回旅順口閉塞作戦開始
3月20日
第2回旅順口閉塞作戦開始
3月25日
広瀬武夫を訪ねる(最後の歓談となる)
3月27日
広瀬武夫戦死
8月
黄海海戦
9月1日
海軍中佐
10月6日
叙正六位
10月15日
バルチック艦隊リバウ軍港を出航

1905年(明治38年)

5月27日
日本海海戦
5月30日
叙勲四等授瑞宝章
6月14日
補連合艦隊参謀
6月19日
母・貞没
9月5日
日露講和条約調印
11月25日
連合艦隊参謀被免、海軍大学校戦術教官に復職
12月21日
連合艦隊解散
秋山真之
中佐(連合艦隊参謀)

1906年(明治39年)

4月1日
明治卅七八年戦役の功に依り功三級金鵄勲章並年金700円
及勲三等旭日中綬章を下賜
明治卅七八年戦役従軍記章授与
秋山真之
中佐(海軍大学校教官)

1907年(明治40年)

 
海軍大演習で中央審判部員
11月13日
慶應義塾野球部に『褌論』の書簡を送る

1908年(明治41年)

2月20日
本職を解き、「三笠」副長
8月28日
本職を解き、「秋津洲」艦長
9月25日
海軍大佐
12月10日
本職を解き、「音羽」艦長
12月11日
叙従五位
大佐(艦長)

1909年(明治42年)

11月16日
本職を解き、待命仰付
12月1日
「橋立」艦長

1910年(明治43年)

4月9日
本職を解き、「出雲」艦長
12月1日
本職を解き、巡洋戦艦「伊吹」艦長

1911年(明治44年)

3月11日
本職を解き、第一艦隊参謀長
秋山真之
大佐(第一艦隊参謀長)

1912年(大正元年)

11月26日
小村寿太郎没
12月1日
本職を解き、海軍軍令部参謀、海軍大学校教官兼任
秋山真之
大佐(海軍軍令部参謀)

1913年(大正2年)

12月1日
海軍少将

1914年(大正3年)

1月30日
叙正五位
4月17日
本職並兼職を解き、海軍省軍務局長兼海軍将官会議議員(シーメンス事件の処理にあたる)
8月5日
松山に帰省
8月29日
高等捕獲審検所評定官
11月1日
艦型艤装調査委員
秋山真之
少将(軍務局長)

1915年(大正4年)

11月7日
大正三四年戦役の功に依り勲二等旭日重光章及び金2,500円
大正三四年従軍記章授与
11月10日
勅令第百五十四号の旨に依り大礼記念章授与
秋山真之
大正四年(海軍少将の時)撮影

1916年(大正5年)

2月21日
本職並兼職を解き、海軍軍令部出仕
大戦視察の為、欧米各国へ出張仰付
6月20日
ロシア皇帝陛下贈与神聖スタニスラス第一等勲章受領及び 佩用充許
10月31日
日本に帰国
11月20日
イギリス国皇帝陛下セント・マイケル・エンド・セント・ジョージ
第二等勲章受領及び 佩用充許
フランス共和国政府贈与コンマンドール・ド・ロルドル・ナショナル・
レジョンドノール勲章受領及び 佩用充許
12月1日
本職を解き、第二水雷戦隊司令官
12月6日
高等捕獲審検所評定官を解く

1917年(大正6年)

6月
盲腸炎が悪化
7月16日
海上勤務を解き、海軍将官会議議員(病気療養の為)
12月1日
海軍中将(病気が良くならないため待命仰付)

1918年(大正7年)

1月
腹膜炎を併発し病気が悪化
2月4日
没(享年49歳)、 叙従四位、特旨を以て位一級被進
2月7日
青山斎場にて葬儀が営まれる
秋山真之
青山斎場に於ける葬儀
スポンサーリンク

Pick Up