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聖将・東郷平八郎の人物評|沈黙と決断で勝利を導いた名将

  • 公開日:2022/06/09
  • 最終更新日:2026/04/14
東郷平八郎

東郷平八郎は、日本海海戦の勝利によって世界に名を轟かせた、日本海軍の象徴ともいえる存在です。

しかしその本質は、単なる「名将」ではありません。
多くを語らず、しかし決断の場では揺るがない——その独特の指揮官像こそが、彼を「聖将」と呼ばしめた理由です。

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本記事では、東郷平八郎の生涯とともに、同時代人たちの評価を通して、その人物像に迫ります。

東郷平八郎とは何者か

東郷平八郎
東郷平八郎

東郷平八郎は、1847年(弘化4年)、薩摩藩士の子として生まれました。

その人生は、日本の近代海軍の発展そのものと重なります。

■ 海からの脅威を知った薩英戦争

初陣となった薩英戦争では、英艦のアームストロング砲の凄まじさを見せ付けられ、「海から来る敵は海にて防ぐべし」と悟る。

■ 実戦経験を積んだ戊辰戦争

戊辰戦争では阿波沖海戦・宮古湾海戦・函館湾海戦の海上砲撃戦の経験をもつ。

■ イギリス留学で得た本質

1871年(明治4年)1878年(明治11年)イギリスのウースター商船学校に留学。幸か不幸か留学中であったために西郷隆盛が起こした西南戦争には参加していない。イギリス留学を経て比叡の回航員として帰国。

■ 日清戦争での冷静な判断

日清戦争で浪速艦長として高陞号事件(清国兵を載せたイギリス商船・高陞号を臨検、命令に応じない同船を撃沈した)を惹き起こしたが、国際法上は問題がなく、むしろ冷静さが賞賛された。

■ 運命の抜擢:連合艦隊司令長官

戦後、海軍大学校校長、佐世保鎮守府、常備艦隊・舞鶴鎮守府の各司令長官を歴任する。1900年(明治33年)の北清事変中は常備艦隊司令長官として現地に進出、派兵各国との連絡・折衝に当たる。

病気療養もあり、この時点で退役が予想されたが、海軍大臣・山本権兵衛が「運のよさ」で常備艦隊司令長官を日高壮之丞中将から東郷に代え、連合艦隊司令長官として指揮をとらせる。

日露戦争

日露戦争中の全海軍作戦を指揮し、
1904年(明治37年)の黄海海戦でロシア旅順艦隊を撃破
1905年(明治38年)の日本海海戦でバルチック艦隊を壊滅
という歴史的勝利を収めます。

この時掲げられた「皇国の興廃此の一戦に在り」のZ旗は、海軍精神の象徴となりました。

「目的達成に極めて忠実な男」山本権兵衛の評価

山本権兵衛
山本権兵衛

東郷を抜擢した山本権兵衛は、彼を次のように評しています。

日高(壮之丞)の家は祖先から代々学者の血統らしく、彼の兄弟なんかも皆相当な学者だったそうだ。日高もその血を承け継いで居ったと見えて人一倍研究心は深かった。

東郷は日高と異って別に鋭敏な閃きはなかった様だが、何事でも一つ目的を立てるとそれを達成するには極めて忠実であり、又意志も鞏固な男である。海軍の方では井上や日高などは多少、政治の事にも理解があり、興味を持っていたが、東郷ときてはからつきし政治なんて方面には頓着しなかった。

それで東郷を舞鶴の鎮守府司令長官から一躍連合艦隊司令長官に起用した当時は随分皆も吃驚したそうだ。殊に野津(道貫)や高島(鞆之助)等は如何にも我輩が乱暴な人事を行った様に思ったらしい。 別に東郷をもってこなくても、井上(良馨)でももってきたらよさそうなものにと評したそうだが我輩の見るところ別にあったのだ。

中村嘉壽著『海軍の父 山本権兵衛』より

ここで重要なのは「天才型ではない」という評価です。

東郷はひらめきで勝つタイプではなく、
・決めた方針を守り抜く
・感情に流されない
・任務に徹する
という、徹底した実務型の指揮官でした。

だからこそ山本は、あえて彼を選んだのです。

「奥知れぬ深さ」沈黙のリーダー像

飯田久恒は東郷をこう評しています。

飯田久恒
飯田久恒

戦地での艦隊司令部は東郷司令長官を中心に実に和やかであった。長官は公務に関しては口数は少ないが、よくものの解った人で下情にも通じておられた。食卓ではなかなかお話好きで、話題は豊富であった。なにもかも承知しながら黙っておられて奥知れぬ深いところがあった。各艦隊司令長官はじめ全艦隊をよく握っておられ、統率の面は誠に良くいっていたと思う

飯田久恒中将談

東郷の特徴は「多くを語らない」ことです。

しかしそれは無能ではなく、
・情報をすべて把握したうえで沈黙する
・必要な時だけ判断を下す
・部下に任せる
という、極めて高度な統率スタイルでした。

現代でいう「サーバントリーダー」に近い存在です。

聖将・東郷平八郎とは何だったのか

伊東祐亨元帥は、「米の飯」と評し、

伊集院五郎元帥は、「戦術に新機軸を出した」と評し、

島村速雄元帥は、「将に将たるの上将軍」と評し、

加藤友三郎元帥は、「細心を大胆で包んでいる」と評し、

樺山資紀海軍大将は、「佐官時代より其の傑物たることを示していた」と評し、

上村彦之丞海軍大将は、「男性的信仰家」と評し、

片岡七郎海軍大将は、「敬服の外ない」と評し、

八代六郎海軍大将は、「国宝は大切に保管するの要あり」と評し、

加藤定吉海軍大将は、「其の伝記は自然に海戦史と修養書とを兼ねている」と評し、

名和又八郎海軍大将は、「人を識るは難く、識って任ずるは更に難く、任じて干渉せざるは愈々難いが、東郷元帥は此の三者を具備している」と評し、

有馬良橘海軍大将は、「大業をなすものは小事を忽にせず」と評し、

加藤寛治海軍大将は、「雄大なる長者」と評し、

安保清種海軍大将は、「唯えらいと思う」と評し、

佐藤鉄太郎海軍中将は、「対談して居ると、温乎たる威力を感ず」と評し、

九鬼隆一男爵は、「日本開闢以来、唯四人のみある大英雄中の一人」と評し、

杉浦重剛翁は、「修養を以て村正を正宗になした」と評し、

白鳥庫吉文学博士は、「要談する毎に漠としていて要領を得ること奇妙なりと思いつつ、八年を経過した今日矢張り奇妙と言うの外ない」と評し、

山崎直方理学博士は、「粗にして精、寛にして厳、遅にして速」と評し、

奥村五百子女史は、「東郷さんは多弁を以て精力消磨の毒薬と思っているようだ」と評し、

米国のルーズベルト大統領は、「余が別荘は多くの名士を迎へたるも、かって東郷大将程の人あらず、将来も恐らく斯かる光栄を荷うことは無かるべし」と評し、

英国のキチナル元帥は、「無言にして畏るべき提督」と評し、

英国のウォールター・ワイル博士は、「ネルソン以来の海戦史上の唯一人なる東郷元帥は素朴なる家にをる風情は、宛然仏国の労農のようだ」

と評した。

小笠原長生著『東郷平八郎傳』より

多くの人物が東郷を評していますが、共通点は明確です。
・派手さはない
・しかし圧倒的な信頼がある
・組織をまとめる力が異常に強い

つまり東郷は「勝てる組織を作る指揮官」でした。

戦術だけでなく、人を動かす力そのものが彼の本質です。

世界三大提督の一人として

ホレーショ・ネルソン
トラファルガー海戦でフランススペイン連合艦隊を打ち破る

ジョン・ポール・ジョーンズ
アメリカ独立戦争でイギリス艦隊を打ち破る

と並び、東郷平八郎は、「世界三大提督」に称されます。

特に日本海海戦は、世界の海戦史においても屈指の勝利と評価されています。

まとめ

東郷平八郎とは、

  • 天才ではなく「徹底した実務家」
  • 多弁ではなく「沈黙の統率者」
  • 個人ではなく「組織を勝たせる指揮官」

でした。

だからこそ彼は、単なる名将ではなく「聖将」と呼ばれるに至ったのです。

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