民撰議院設立建白書とは|自由民権運動の出発点をわかりやすく解説

民撰議院設立建白書(みんせんぎいんせつりつけんぱくしょ)とは、1874年(明治7年)に板垣退助や後藤象二郎らが政府へ提出した意見書です。
国民が選んだ議員による議会の設立を求めたもので、日本の自由民権運動の出発点として知られています。
後の帝国議会開設へつながる重要な政治文書でした。
- 民撰議院設立建白書とは何ですか?
- 国民が選ぶ議会の設立を求めた意見書です。
- いつ提出されましたか?
- 1874年(明治7年)です。
- なぜ重要なのですか?
- 自由民権運動の出発点となったためです。
→ 詳しいQ&Aはページ下部をご覧ください
目次
民撰議院設立建白書とは簡単にいうと?
簡単に言えば、民撰議院設立建白書とは「国民が選ぶ議会を作るよう政府に求めた意見書」です。
- 1874年に提出された
- 板垣退助らが中心となった
- 議会政治の実現を求めた
- 自由民権運動の出発点となった
- 国会開設運動へ発展した
提出された背景
明治維新後、日本では藩閥政府による政治が行われていました。
しかし政治に参加できるのは一部の指導者に限られており、多くの国民には発言の機会がありませんでした。
こうした状況への不満が高まっていきます。
征韓論政変との関係
1873年の明治六年政変で、征韓論を主張した板垣退助や後藤象二郎らは政府を去りました。
下野後の彼らは、政治改革を求める活動を始めます。
その具体的な行動が民撰議院設立建白書の提出でした。
建白書の内容
建白書では、国民の代表による議会を設立する必要性が主張されました。
また、政府が一部の藩閥によって運営されていることを批判しています。
国民の意見を政治へ反映させる仕組みの整備を求めました。
政府の反応
当時の政府は建白書の要求をすぐには受け入れませんでした。
しかし、この主張は全国へ広がり大きな反響を呼びます。
以後、自由民権運動が本格化していきました。
自由民権運動への発展
民撰議院設立建白書は自由民権運動の出発点となりました。
全国で政治参加や国会開設を求める運動が展開されます。
板垣退助はその中心人物として活躍しました。
帝国議会開設との関係
1881年、政府は国会開設の勅諭を発表します。
そして1890年には帝国議会が開設されました。
民撰議院設立建白書は、その出発点となった歴史的文書と評価されています。
民撰議院設立建白書の歴史的意味
民撰議院設立建白書は日本における議会政治の出発点でした。
また、国民が政治参加を求めた最初期の大規模な運動でもあります。
近代日本の民主政治の原点といえる存在です。
『坂の上の雲』との関係
『坂の上の雲』の時代には帝国議会がすでに存在していました。
その議会政治の基礎を築くきっかけとなったのが民撰議院設立建白書です。
明治日本が近代国家へ成長する過程を理解するうえで欠かせない出来事です。
民撰議院設立建白書の歴史的意義
- 自由民権運動の出発点となった
- 議会政治実現を求めた最初期の運動だった
- 藩閥政治への批判を示した
- 国会開設運動へ発展した
- 近代日本の民主政治の原点となった
民撰議院設立建白書のポイントまとめ
- 1874年に提出された建白書である
- 板垣退助と後藤象二郎らが中心だった
- 国民による議会設立を求めた
- 自由民権運動の出発点となった
- 後の帝国議会開設につながった
関連年表
よくある質問(Q&A)
- 民撰議院設立建白書とは何ですか?
- 1874年に板垣退助らが提出した議会設立要求の建白書です。
- 誰が提出したのですか?
- 板垣退助、 後藤象二郎 らが中心となって提出しました。
- 何を求めたのですか?
- 国民が選んだ代表による議会の設立を求めました。
- 自由民権運動との関係はありますか?
- 自由民権運動の出発点として位置づけられています。
- 政府は受け入れたのですか?
- 直ちには受け入れませんでしたが、後の国会開設へ影響を与えました。
- 帝国議会との関係はありますか?
- 帝国議会 開設へつながる重要なきっかけとなりました。
- 民撰議院設立建白書を理解すると何が分かりますか?
- 日本の議会政治や自由民権運動がどのように始まったのかを理解できます。

