小栗上野介の逸話・エピソード5選|幕府を超えて国家を見た男の実像

幕末という時代は、多くの英雄を生みました。
しかしその中で、時代の表舞台に立ちながら、十分に語られることなく歴史の陰に沈んだ人物がいます。
小栗上野介忠順です。
彼は徳川幕府の中枢で、財政・外交・軍事のすべてに関わり、日本の近代化を現実の政策として推し進めた人物でした。
横須賀製鉄所の建設を主導し、国家の制度や産業のあり方にまで踏み込んだその構想は、明治以降の日本に直結するものでした。
にもかかわらず、小栗は維新の中で理解されることなく、裁判もないまま処刑されるという最期を迎えます。
なぜ、これほどの人物が排除されなければならなかったのか。
その答えは、彼に残された逸話の中にあります。
本記事では、小栗上野介にまつわる代表的なエピソードを通して、「幕府を超えて国家を見た男」の実像に迫ります。
目次
逸話①「又一」に受け継がれた三河武士の精神
小栗家が代々名乗る通称「又一(またいち)」には、徳川家康直々の命名といわれています。
先祖の小栗忠政は戦場で一番槍などの手柄を立てるたび、そのたびに家康から「また一つ、また一つ」と喜んだことからこの名がついたと言われています。
勝海舟は、上野介の揺るぎない忠誠心を「先祖の又一によく似ていた」と評しており、彼の行動原理の根底にはこの「三河武士の誇り」が流れていました
ただし、小栗は単なる“忠臣”では終わりませんでした。
その視線は、やがて幕府の枠を超えていきます。
逸話② ロシア軍を圧倒した「武士の気骨」
1861年、ロシア軍艦が対馬を占拠するという国際危機が発生した際、小栗は外国奉行として現地に赴きました。
彼はロシア語を自在に操れたわけではありませんでしたが、その堂々たる態度と誠実さによって、相手に強い印象を与えます。
勝海舟は、このときの様子を次のように語っています。
武士の流儀はロシア人には大した利目がなかったが、小栗を派遣してからは一時江戸へ引き返し、一件を保留するに至った
その背景には、小栗がイギリスの影響力を利用するという外交判断を行ったこともありました。
ここに見えるのは、
- 恐れない胆力
- 状況を読む冷静さ
- 国際関係を利用する判断力
です。
小栗は武士であると同時に、近代的な外交感覚を持った官僚でもありました。
逸話③ 遣米使節で見せた”驚異の「経済マニア」ぶり”
1860年、日本最初の遣米使節として渡米した小栗は、単なる見聞役ではありませんでした。
多くの人が西洋の文明に驚く中で、小栗が注目したのは、その背後にある仕組みでした。
- 外国為替の相場
- 所得税の仕組み
- 公債の発行
彼はこれらを徹底的に研究しました。
つまり彼は、文明を“見る”のではなく、国家の構造を読み取ろうとしていたのです。
その卓越した財政センスは、後に「東洋のゴッペンブライト(当時の高名な財政家)」と称賛されるほどでした。
逸話④ 「土蔵付きの売家」に込められた覚悟

小栗の最大の功績は「横須賀製鉄所(後の海軍工廠)」の創設です。
幕府の財政が逼迫する中、巨額の資金を投じることに猛反対を受けました。
その時彼は、次のように語っています。
「幕府が滅んでも、後にこの施設が残れば日本のためになる
それは家(幕府)が滅んでも『土蔵付きの売家』を残すようなものだ」
この言葉が示しているのは明確です。
幕府ではなく、日本という国家を見ていた
ということです。
自らの運命よりも、次の時代の基盤を優先する――
この無私の精神こそ、小栗が「先覚者」と呼ばれる理由です。
逸話⑤ 350万両の埋蔵金?伝説と非業の最期

小栗が処刑される直接の引き金となったのが、「幕府の軍用金350万両を赤城山に隠した」という疑いでした。
いわゆる赤城山埋蔵金伝説です。
実際には、そのような事実は存在せず、彼は村で静かに隠遁生活を送っていただけでした。
しかし、小栗があまりにも有能であり、新政府にとって脅威となり得る存在だったことが背景にありました。
フランスとの関係もあり、「再起するのではないか」と恐れられたのです。
彼の死後、用人であった三野村利左衛門が三井財閥の礎を築いた際、人々は「小栗の隠し資産があったに違いない」と噂しました。
しかし三野村自身はこう語っています。
自分の成功など、小栗の才能に比べれば子供の遊びにすぎない
この言葉が、小栗の実力の大きさを物語っています。
小栗上野介とはどんな人物だったのか
勝海舟は、自分と激しく対立した小栗の最期をこう嘆きました。
政府に反抗して最後まで戦った者は助けられたのに、戦わずに恭順していた小栗だけが殺された。これほどの不条理はない
この言葉は、幕末という時代の矛盾を象徴しています。
これらの逸話を通して見えてくるのは、
- 幕府に忠実でありながら
- 国家全体を見据え
- 現実的な政策として実行しようとした人物
です。
そして何より、時代より一歩先を見ていた人物でした。
まとめ
小栗上野介の逸話は、単なるエピソードではありません。
彼は誰よりも先に「日本」という国家を見据え、その未来のために自らを捧げた人物でした。
横須賀の地に今も残るドックの跡は、彼の情熱が今も生きている証なのかもしれません。
あなたは、この「早すぎた天才」の生き方を、どう感じますか。


