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山本権兵衛の逸話|なぜ「エリートを重んじた」のか

  • 公開日:2022/07/07
  • 最終更新日:2026/04/20
山本権兵衛

山本権兵衛は、日本海軍の基礎を築いた名指導者として知られています。

その一方で、彼には「優秀な人材を強く引き寄せる」という特徴がありました。
時にそれは、「エリートを重んじすぎる」とも見られるほど徹底したものでした。

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本記事では、広瀬武夫、秋山真之らとの逸話を通じて、山本権兵衛の人物像に迫ります。

広瀬武夫、友のために結婚を反対する

広瀬武夫
広瀬武夫

財部彪は、海軍兵学校15期の秀才であり、広瀬武夫にとって無二の友人でした。

その財部が、山本権兵衛海軍大臣の娘と結婚することになります。

この知らせを聞いた広瀬は、すぐさま山本のもとへ赴き、結婚の中止を直訴しました。

これはいかん、財部のためにはなはだ不利益な結婚だ。これは止めねばならん

と山本海相の邸に走ります。

なんとか山本海相に面会することができた広瀬は、海相を前にして声大にして曰く、

財部はご承知の通り海軍部内の秀才です。前途多望の男です。一身の栄達は固より期して待つべきで、僕等友人の固く信ずる所です。然るに今度お娘子と結婚の約が調ったそうですが、今財部が海軍大臣の娘婿となるにおいては、今後財部が自分一個の力によって、官職は位階の昇進する事があっても、世間ではこれを以て全く海軍大臣のおかげであるとする。海軍大臣の娘婿であるからだとして、非難こそあれど、誰も財部の技量を認める者はいないでしょう。だからこの結婚は財部の為に甚だ不利益で、財部の為に惜しまざるを得ません。この結婚は破談にして戴きたいことを僕は切に希望します。僕は財部の友人として、衷情黙視するに忍びないからお諌めに参りました。

と結婚の中止を諫言します。

広瀬が危惧したのは、ただ一点です。

  • 出世しても「実力ではなく縁故」と見られる
  • 世間の評価が歪められる

つまり彼は、友人の実力が正当に評価されなくなることを恐れたのです。

しかし、この諫言は受け入れられず、結婚は成立しました。

■ この逸話の意味

この出来事は二つの側面を示しています。

  • 広瀬の徹底した「実力主義」
  • 山本の「優秀な人材を身内に置こうとする姿勢」

ここに、山本権兵衛の人材観の一端が表れています。

2. 秋山真之、権力の縁談を断る

秋山真之
秋山真之

秋山真之は、結婚そのものに対して慎重な考えを持っていました。

大抵の人は、妻子を持つと共に片足を棺おけに衝込みて半死し、進取の気象衰へ退歩を治む。

秋山真之「天剣漫録」より

と、結婚して家庭をもつと、男子の志を弱らせるものだという信念をもっていました。

これは、平素より兄・好古から、

若い者の敵は家庭である。家庭をもてば研究心が衰える。どうしても女房をもたなくてはならぬのなら、できるだけゆっくりもらえ。

と、口癖のように言われていたことに、真之自身も納得していたことに因ります。

そんな中、秋山真之が31歳の頃、にわかに縁談の話が持ち上がります。

縁談のお相手は、山本権兵衛海軍大臣の18歳になる二番目の娘でした。

先にも述べましたが、山本権兵衛といえば、一番目の娘を財部彪に娶らせ婿養子とします。エリートを好む山本権兵衛ゆえに、15期首席の財部彪同様に17期首席の秋山真之にも白羽の矢を立てるのも当然です。

しかし、秋山はこの縁談を断ります。

その理由は明確でした。

「権力の後ろ盾で評価される存在にはなりたくない」

つまり彼は、
・実力で評価されたい
・権威に依存したくない
という強い意志を持っていたのです。

山本権兵衛の人材観とは

しかし、この縁談はこれで終らず、同郷かつ同期(成績3位)の山路一善に話がおよびます。

山路はこの縁談を受けて山本権兵衛の婿養子となります。

この縁談に対して、秋山真之は、

よりによって同じ郷里の、同じクラスの、ふだんから競争相手きどりで、ワシには反感ばかりもっている男を急に婿にした。なまじっか同藩などというのが、かえっていけない。こともあろうに、よりによってあの男を婿のあとがまに据えたのは、底意が知れない

島田謹二著『アメリカにおける秋山真之』より

と、語っています。

山本権兵衛の行動を単に「エリート好き」と見るのは正確ではありません。

むしろ彼は、「優秀な人材を国家の中枢に集める」という強い意識を持っていました。

実際に彼が関わった人物は、

  • 財部彪
  • 秋山真之
  • 山路一善

いずれも当時の海軍を支える逸材ばかりです。

しかし一方で、その手法は

  • 縁戚関係による結びつき
  • 権力との近接

という側面を伴いました。

■ ここから見える本質

山本権兵衛の人物像は、次のように整理できます。

  • 人材を見る目は極めて鋭い
  • 国家のために優秀な人材を集める意識が強い
  • しかし、その方法は時に誤解を招く

つまり彼は、 「実力主義者でありながら、同時に現実主義者でもあった」といえるでしょう。

まとめ

この一連の逸話から見えてくるのは、単なる人間関係ではありません。

  • 広瀬武夫の理想主義
  • 秋山真之の独立心
  • 山本権兵衛の現実的な人材戦略

それぞれの価値観がぶつかり合うことで、当時の日本海軍の空気が立体的に浮かび上がってきます。

山本権兵衛とは、「人材を通して国家を動かそうとした男」だったのです。

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