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上杉謙信の「車懸りの陣」と秋山真之の「七段構えの戦法」

  • 公開日:2022/07/11
  • 最終更新日:2026/04/22
秋山真之

戦国時代の名将といえば、まず思い浮かぶのが上杉謙信と武田信玄です。

両者が激突した「川中島の戦い」は、日本史上でも屈指の名勝負として知られています。

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この戦いで謙信が用いたとされる「車懸りの陣」。
実はこの戦法、のちに海軍参謀であった秋山真之に大きな影響を与えたといわれています。

本記事では、戦国の戦術と近代海戦をつなぐ発想――その核心を見ていきます。。

川中島の戦いと「車懸りの陣」

川中島古戦場跡・一騎打像
川中島古戦場跡・一騎打像

武田軍の軍師山本勘助は、霧を利用した「啄木鳥の戦法」を立案します。
別働隊で妻女山を奇襲し、追い落とした敵を本隊で挟撃するという高度な作戦でした。

しかしこの動きを見抜いた謙信は、逆に霧を突いて八幡原へ急襲します。

武田軍が鶴翼の陣を敷く中、謙信は「車懸りの陣」で応戦。
これは部隊を次々と入れ替えながら攻撃を続ける戦法で、疲労した兵を後退させ、新手を前に出すことで攻撃力を維持する仕組みです。

その結果、戦場は乱戦となり、謙信は信玄の本陣へ斬り込みます。
有名な「三太刀七太刀」の逸話が生まれたのもこの時です。

2. 「車懸りの陣」について評する秋山真之

秋山真之
秋山真之

この「車懸りの陣」について、秋山真之は次のように分析しています。

順撃法の一種にして比較的有利なる戦法は、循環攻撃法なり。
此法に依るときは攻撃部隊循環交代するが故に、各部隊十分に其戦闘力を発揮し、攻撃を終りたる部隊は暫く休憩して、鋭気を養ひ且つ戦闘の被害等を復旧し得るの利あるのみならず、敵に対する攻撃を間断なからしめ、遂に我が連続の攻撃に耐へざらしむるに至る。
我が戦国時代の陸戦戦法中敵の堅陣を破るものとして世に伝へる「車懸」の攻撃法の如きは、此の循環攻撃の原則を応用せるものの如し。
艦隊の海岸要塞戦等に於て一砲砦より順じに撃破せんとするが如き場合には、此法を用ふるを最も有利なりとす。

要点を現代的に言い換えると――

  • 攻撃部隊を循環させることで戦闘力を維持できる
  • 攻撃を途切れさせないことで敵を消耗させる
  • 結果として敵は連続攻撃に耐えられなくなる

つまり「車懸りの陣」とは単なる突撃戦法ではなく、“持続的に圧力をかけ続ける“システムとしての戦術”だったのです。

秋山はこれを、海戦にも応用できる普遍的原理として捉えていました。

3. 七段構えの戦法

この発想をもとに、秋山真之が構想したのが日本海海戦での「七段構えの戦法」です。

これは、敵のバルチック艦隊をウラジオストクに一隻も到達させないための、段階的な迎撃構想でした。

七段構えの概要

  • 第一段:開戦前夜、駆逐艦・水雷艇による奇襲雷撃
  • 第二段:主力艦隊による昼間の決戦
  • 第三・第四段:夜間に再度の奇襲攻撃
  • 第五・第六段:夜明け後の徹底追撃
  • 第七段:機雷海域へ追い込み殲滅

これはまさに、海上における“車懸り”の発想と言えるものです。

すなわち、戦力を一度にぶつけるのではなく、時間と空間を分割して“連続攻撃”を行う構造です。

なぜ七段すべては使われなかったのか

実際の戦闘では、第二段から第四段までで勝敗は決しました。

理由は単純で、連合艦隊の攻撃があまりにも効果的だったためです。

  • 昼戦で主力を撃破
  • 夜戦で壊滅的打撃
  • 追撃を行う前に勝負が決着

つまり、秋山の構想は「完全に実行されなかった」のではなく、途中までで十分すぎる成果を上げたのです。

まとめ|戦術の本質は時代を超える

上杉謙信の「車懸りの陣」と秋山真之の「七段構えの戦法」。

一見すると、戦国の陸戦と近代の海戦という全く異なる世界の話に見えます。

しかしその本質は共通しています。

  • 攻撃を途切れさせない
  • 戦力を循環させる
  • 敵に休む間を与えない

この原理こそが、時代を超えて受け継がれた戦術の核心でした。

戦国の知恵が、近代戦争に生きる――
そこに歴史の面白さがあります。

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