東郷平八郎の名言・語録3選|言葉に表れた生き方と精神

日本海海戦を指揮し、世界に名を知られた東郷平八郎。
その人物像は、戦果だけでなく「言葉」にもよく表れています。
本記事では、東郷の代表的な名言を取り上げ、その背景と意味をわかりやすく解説します。
単なる言葉ではなく、東郷という人物の本質が見えてくる言葉として読み解いていきます。
「やはり示現流」
イギリス留学から帰国した東郷に対し、「英国海軍はどうだったか」と問われた際の言葉です。
やはり示現流
■ 意味と解説
ここでいう「示現流」とは、薩摩藩に伝わる剣術で、徹底した鍛錬と気迫を重んじる武道です。
東郷の言葉の本質は、戦術は違っても、戦いの本質は“精神”であるという点にあります。
つまり彼は、西洋の技術を評価しつつも、「勝敗を決めるのは最終的には人間の精神である」と捉えていたのです。
「海から来る敵は海にて防ぐべし」
1863年(文久3年)、生麦事件の賠償交渉不調により、同年6月27日クーパー提督率いるイギリス艦隊7隻が代理公使クールらを乗せ鹿児島に遠征し、鹿児島藩に犯人の逮捕処罰・25,000ポンドの賠償金を要求したが、交渉は不調に終わる。
イギリス側は強硬手段を行使し、7月2日・3日の交戦でイギリス艦はアームストロング砲の凄まじさを見せ付け鹿児島城下を焼き、全砲台を大破した。しかし、イギリス側も旗艦艦長や副長が即死、60余人が死傷の損害を被った。
この薩英戦争が初陣となった東郷平八郎は、
海から来る敵は海にて防ぐべし
と誓ったという。
■ 意味と解説
この言葉は非常にシンプルですが、本質的です。
海軍の必要性を示す言葉であると同時に、
戦うべき場所で戦え(戦場の主導権をどこで握るかが勝敗を決める)
という戦略思想を表しています。
後の日本海海戦においても、敵を対馬海峡で迎え撃った東郷の戦略は、まさにこの思想の実践でした。
「咲くもよし散るもよし野の山桜」
咲くもよし散るもよし野の山桜、花のこころは知る人ぞ知る
これは東郷平八郎が小笠原長生に贈った和歌です。
小笠原長生はこの句に東郷元帥の一生に通じるものと感銘し、下記のように述べます。
咲くべくして咲き、散るべくして散る。
それでよいので、その他に齷齪(あくせく)したとて何になる。 世人が三日見ぬ間にとあわてようが、夜半に嵐の吹かぬものかはと歎こうが、如斯瑣少な感傷はこれを超越して大自然に一如し、飽くまで自己の本分に安じて梅をも真似ず牡丹にも倣わず、以て静かに天命を楽しむところに桜の真価が存するのではある。咲く時の勇ましさと、散り際の潔さとを人事に譬えるなら、進むべきには迅雷を掩うに暇あらざらしめ、退くに当りては高踏清嘯その処に晏如たる底のもので、達徳の士にあらざれば及ばぬ境涯である。
人間は誰でも然うであるが、就中(なかんづく)支配階級の者が慎重に考えねばならぬのは、出処進退ということであって、古来幾多の俊傑が、その終を完うし得なかったのは、多く之を誤ったが為である。然うして更にその誤った原因を討究して見ると、徒に不相当な野心に囚はれ、自己の守るべき本分を忘れて名利の奴隷となるからで、さあ斯うなっては出処進退を慎重に考慮するの余裕など出来よう筈なく、終には他より爪弾きせらるるまでになり、多感の詩客をして「英雄の末路」などという哀れな熟語を使用させるに至るのである。
■ 意味と解説
この歌は、東郷の人生観そのものを表しています。
- 咲く=成功・栄光
- 散る=退く・終わる
どちらも自然の流れであり、それを受け入れることが大切だという思想です。
無理に抗わず、天命に従う生き方
これは、名声を得ながらも驕らず、静かに身を引いた東郷の姿と重なります。
まとめ|名言に表れた東郷の本質
東郷平八郎の言葉には共通点があります。
それは、
- 精神を重んじる姿勢
- 本質を見抜く力
- 無理に抗わない生き方
です。
だからこそ彼は、戦術家であるだけでなく、一人の人格者としても高く評価され続けているのです。


