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東郷平八郎の人となりが表れる逸話

  • 公開日:2022/06/12
  • 最終更新日:2022/07/03
東郷平八郎

山本権兵衛は、東郷平八郎のことを「何事でも一つ目的を立てるとそれを達成するには極めて忠実であり、又意志も鞏固な男である」と評していますが、その性格は東郷平八郎の幼少時代の逸話からも見ることができます。

1. 東郷平八郎、馬に噛まれる

東郷家には、父吉左衛門の乗用とする栗毛の愛馬がいた。ところが、この馬はあばれ馬であり、吉左衛門以外の人には容易になつかなかった。

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仲五郎(東郷平八郎の幼名)はこの馬をこらしめてやろうという気になり、ある日、厩に入って、棒先でその馬に戯れていると、 突然に馬は本性をあらわして、ヒーンと一声嘶くと同時に、前足をあげて、仲五郎を蹴倒し、さらに頭へ噛み付いた。 さすがに仲五郎もこれには驚き、持っていた棒で、無茶苦茶に馬を殴りつけ、なんとか馬口から逃れることができた。 しかし、一命にもかかるような出来事にもかかわらず、仲五郎はこのことを誰にも話さなかった。

翌朝、母がいつもの通り仲五郎の髪を結っていると、仲五郎の頭に大きな疵をを発見した。

これは、一体どうしたのです?

と尋ねると、

家の栗毛に噛まれました

と、昨日の出来事を正直に話した。

黙って聞いていた母は、心中、この程度の疵ですんだのを喜びながら、

これから、御国のために尽さねばならぬ大事な身体を、畜生相手にしてどうします。もっと自分の身体を大切にしなくてはいけません

と叱りつけ、懇々と自重自尊の必要を説き聞かせた。

母の言いつけはもっともながら、やはり負けじ魂に憤怒した仲五郎は、

こんなに、お母さんから叱られるのも、あの栗毛のためだ。
一つ仇討ちをしてやる

と、再び厩の中に飛び込んで、大きな棒で、馬の横顔を滅多打ちに撲りつけて、鬱憤を晴らしたのでした。

2. 正しいことは正しい

仲五郎(東郷平八郎の幼名)が父吉左衛門と兄壮九郎の三人で、ある旅館に投宿したことがある。
夕刻になって、兄壮九郎は旅館の浴場に入ったが、急に咽が渇いたので、入浴しながら大きな声で

おうい、仲五、水を持って来い!

と怒鳴った。

これを聞いた仲五郎は、いかに兄とはいえ、湯の中にいて、人に水を持ってこさすとは贅沢至極だ。一つ懲らしめてやろうと思い、何かないかと、旅館の庭を見渡すと、庭の一隅に真っ赤な唐辛子があった。仲五郎は、それを小さく刻んで水の中に入れ、素知らぬ顔で兄に渡すと、兄はいかにも待ち遠しいといった風で、薄暗い浴室でがぶ飲みに飲んだ。

すると、たちまち壮九郎の顔には、泣いたような、怒ったような、とても名状しがたい色があらわれて、

仲五、不埒な事をしたな!

といいざま、浴槽から飛び出して、仲五を捕まえようとしたが、仲五郎は脱兎の如く逃れ、「いい気味だ!」といった顔をしてみせた。

すると、壮九郎は口惜しくてたまらず、この事を全部父に話した。父は非常に怒って、仲五郎を呼びつけ、さっそく壮九郎に陳謝しろといった。だが、自分のやったことは悪いことはないと信じている仲五郎は、どうしても謝らなかった。そこで、父はこれを懲罰する意味で、10日間ほど自分の下役の家に仲五郎を監禁同様にして預けた。許されて帰宅しても、仲五郎はとうとう謝らなかった。

3. 余話:東洋のネルソン

東郷平八郎が日本海海戦から凱旋して間もないない頃、イギリスの海軍協会から一個の贈物が東郷の許に届きました。開けてみると、手紙に添えて、同協会に保存してある というガラス器に入ったネルソン提督の遺髪の一部と、トラファルガ海戦当時のビクトリー号の遺材で作った台に載せてある銅製のネルソン提督小胸像が出てきました。

そして、手紙の内容はというと、

日本海海戦の偉勲に対してこの二品を謹呈する。ついては甚だ不躾ながら、閣下の毛髪を頂戴して記念の為本協会に永久保存したい

というものでした。 さすがに困った東郷でしたが、小笠原長生の進言により、毛髪を贈ります。

このイギリスが東郷元帥の毛髪を欲したのには理由がありました。すなわち東郷元帥が青年時代に英国に留学し、そこで海軍に関する学問や知識を修養した事が、いたく誇りとし、「我がイギリスの教えのたまものである」と云わんばかりに先生気取りとなり、さらには興味と感銘とを唆られて、毛髪希望とまで熱をあげたようでした。

而して、イギリス国民は東郷元帥をして「東洋のネルソンである」と讃えるのでした。

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