東郷平八郎の逸話3選|少年時代から見える「不動の信念」

東郷平八郎といえば、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破った名提督として知られています。
しかし、その強さの本質は戦場だけにあったのではありません。
幼い頃からすでに、信念を曲げない性格と、徹底した行動力が備わっていました。
山本権兵衛は、東郷平八郎のことを「何事でも一つ目的を立てるとそれを達成するには極めて忠実であり、又意志も鞏固な男である」と評しており、幼い頃からすでに、信念を曲げない性格と、徹底した行動力が備わっていました。
本記事では、そんな東郷平八郎の人となりがよくわかる逸話を紹介しながら、「なぜ彼が歴史に名を残したのか」を読み解いていきます。
馬に噛まれても屈しない気性
東郷家には、父吉左衛門の乗用とする栗毛の愛馬がいた。ところが、この馬はあばれ馬であり、吉左衛門以外の人には容易になつかなかった。
ある日、仲五郎(東郷平八郎の幼名)はこの馬を懲らしめようと厩に入り、棒で戯れていると、
突然馬が暴れ、蹴倒されたうえに頭に噛みつかれてしまいます。
命に関わるほどの出来事でしたが、仲五郎はこれを誰にも話しませんでした。
翌朝、母に傷を見つけられて事情を説明すると、
これは、一体どうしたのです?
と尋ねると、
家の栗毛に噛まれました
と、昨日の出来事を正直に話した。
黙って聞いていた母は、心中、この程度の疵ですんだのを喜びながら、
これから、御国のために尽さねばならぬ大事な身体を、畜生相手にしてどうします。もっと自分の身体を大切にしなくてはいけません
と叱りつけ、懇々と自重自尊の必要を説き聞かせた。
母の言いつけはもっともながら、やはり負けじ魂に憤怒した仲五郎は、
こんなに、お母さんから叱られるのも、あの栗毛のためだ。
一つ仇討ちをしてやる
と、再び厩の中に飛び込んで、大きな棒で、馬の横顔を滅多打ちに撲りつけて、鬱憤を晴らしたのでした。
この逸話が示すもの
この出来事から見えるのは、単なる気の強さではありません。
- 危険を恐れない胆力
- 納得できないことには従わない意志
- 自分の感情に正直な行動力
後の東郷の「決断力」は、この頃からすでに形づくられていたといえます。
正しいことは曲げない
あるとき仲五郎は、父と兄とともに旅館に泊まりました。
入浴中の兄が、
おうい、仲五、水を持って来い!
と命じたことに対し、仲五郎は強い違和感を覚えます。
「湯に入りながら人に命じるのは贅沢だ」と考えた彼は、庭の唐辛子を刻んで水に入れ、兄に渡しました。
すると、たちまち壮九郎の顔には、泣いたような、怒ったような、とても名状しがたい色があらわれて、
仲五、不埒な事をしたな!
何も知らずに飲んだ兄は激怒し、兄は激怒し、父に訴えます。
父は仲五郎に謝罪を命じますが、仲五郎は最後まで謝りませんでした。
結果として、罰として10日間ほどの監禁同様の扱いを受けますが、それでも意思は変わりませんでした。
この逸話が示すもの
ここに見えるのは、東郷の核となる性格です。
- 「正しい」と信じたことは曲げない
- 権威(父・兄)に対しても迎合しない
- 処罰を受けても信念を守る
この姿勢こそが、後に国家の命運を背負う指揮官としての資質につながっていきます。
「東洋のネルソン」と呼ばれた理由
日本海海戦後、イギリス海軍協会から東郷のもとへ贈り物が届きました。
中には、
- ホレーショ・ネルソン提督の遺髪
- 戦艦ヴィクトリー号の遺材で作られた胸像
が収められていました。
さらに手紙には、
日本海海戦の偉勲に対してこの二品を謹呈する。ついては甚だ不躾ながら、閣下の毛髪を頂戴して記念の為本協会に永久保存したい
というものでした。 さすがに困った東郷でしたが、小笠原長生の進言により、毛髪を贈ります。
なぜそこまで評価されたのか
イギリスが東郷を高く評価した理由は明確です。
- 若い頃にイギリスへ留学していた
- 西洋の海軍思想を深く理解していた
- それを日本で実戦レベルに昇華させた
つまり東郷は、「イギリス海軍思想の正統な継承者」と見なされたのです。
こうして彼は「東洋のネルソン」と称えられるようになりました。
まとめ
東郷平八郎の逸話を振り返ると、共通して見えてくるのは次の3点です。
- 幼少期から変わらない強い意志
- 正しさへの徹底したこだわり
- 状況に流されない判断力
これらはすべて、日本海海戦での勝利へとつながる資質でした。
東郷の強さとは、戦術ではなく、揺るがない人格そのものにあったといえるでしょう。


