日清戦争開戦と高陞号事件
1894年(明治27年)7月25日、日清戦争開戦時に東郷平八郎艦長の指揮する巡洋艦浪速がイギリス商船高陞号を撃沈する事件が起こりました。 1. 高陞号事件 午前十時、済遠をさがしていた浪速は、べつの目標を発見した。大型汽 […]
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1894年(明治27年)7月25日、日清戦争開戦時に東郷平八郎艦長の指揮する巡洋艦浪速がイギリス商船高陞号を撃沈する事件が起こりました。 1. 高陞号事件 午前十時、済遠をさがしていた浪速は、べつの目標を発見した。大型汽 […]
1934年(昭和9年)5月30日午前7時、元帥・海軍大将・正二位・大勲位・功一級・侯爵東郷平八郎が逝去します。その生前の偉大な功績に対し、従一位に昇位、そして国葬を賜ります。 1. 東郷平八郎、逝去 東郷平八郎は毎年5月 […]
1. 軍服で押し通す 乃木希典は新婚の初夜、花嫁の静子を放ったらかしにして酒を飲みに出かけほど、若い頃はかなり荒っぽい遊びをしていましたが、1888年(明治21年)、2年間のドイツ留学をを終えて帰ってくると、ガラリと変わ […]
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川中島に深い霧が出ると聞いた甲軍の軍師山本勘助は全軍を二手に分け、12,000の別働隊が、上杉謙信(越軍)の立てこもる妻女山に奇襲をかけ、信玄率いる8000の本隊は八幡原の麓に待ち構え、追い落とされた敵を別働隊とで挟み討 […]
1890年(明治23年)、秋山真之は海軍兵学校を卒業、少尉候補生となり、練習艦「比叡」に乗り込んで遠洋航海に出ることになりました。そこで、父・秋山平五郎は真之に、昔話の「桃太郎」の話をして、はじめて外国にゆく息子を激励し […]
1. 広瀬武夫、友人財部彪(たからべたけし)の結婚を反対する 広瀬武夫と財部彪は海軍兵学校の同期(15期)でもあり、互に認める友人でした。 その財部彪が山本権兵衛海相の娘を娶る事になりました。 広瀬はその報に接して驚き、 […]
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1. 父・五百助の厳しい訓育 山本権兵衛の父五百助盛珉は書画を能くして歌道に通じ、武芸でも特に槍術などは藩の中でも指折りの達人であった。そして、藩の右筆となって出仕、長い間藩主の書道指南を兼ね勤めた人である。 その父の躾 […]
1. 児玉源太郎の水浴び 児玉源太郎は幼年7歳の時から水浴びを始めます。以来、日露戦争の始まるまでの50年間は毎日欠かさず水浴びを続けたといいます。井戸に往き、頭からザブッと浴び、寒中といえども決して欠かすことはなかった […]
1. 広瀬武夫の大食漢 広瀬武夫が17、8歳で、まだ海軍士官でなかった頃の話です。広瀬は鰻丼なら5杯、お鮨なら10人前を平気で食べる大食漢であったそうです。 ある日、広瀬武夫が東京本所区花町のお祖母さん(継母のお母さん) […]
山本権兵衛は、東郷平八郎のことを「何事でも一つ目的を立てるとそれを達成するには極めて忠実であり、又意志も鞏固な男である」と評していますが、その性格は東郷平八郎の幼少時代の逸話からも見ることができます。 1. 東郷平八郎、 […]