大和多武峯(多武峰)

十市郡に在り山腹に藤原鎌足の霊を祀る談山神社あり
別格官幣大社にして宏壮関西に冠たり社殿は延長四年の創建に係り満山桜楓多く且眺嘱に富む
其他遺跡の見るべき者多し
明治33年発行『日本名勝百景』より
多武峰の概要

奈良県桜井市南部の御破裂山(標高608m)を主峰とする山。
「日本書紀」に斉明天皇が656年(白雉7年)、田身嶺に垣を巡らし両槻宮を造ったとあるのが初見。
藤原鎌足を祭る談山神社は明治期以前は多武峰寺と称し、鎌足の長男定慧が摂津国島下郡阿威山(現、大阪府高槻市)から、父の遺骨を改葬して十三重塔婆を造ったことに始まると伝える。
塔婆信仰の妙楽寺と鎌足の木像を祭る聖霊院とがあった。
平安時代以降天台宗に属し、多数の僧兵を擁し、大きな勢力を誇った。