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Z旗とは?意味・由来・日本海海戦での役割をわかりやすく解説

  • 公開日:2022/06/11
  • 最終更新日:2026/04/04
Z旗

Z旗(ゼット旗)とは、日本海海戦で連合艦隊旗艦「三笠」に掲げられたことで広く知られる信号旗です。とくに有名なのが、東郷平八郎率いる連合艦隊が決戦に臨む際に示した「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」という意味合いでしょう。

ただし、Z旗はもともと国際信号旗のひとつであり、本来は船舶同士の意思疎通に用いられる旗でもあります。この記事では、Z旗の本来の意味、日本海海戦で特別な象徴となった理由、その後の使われ方までをわかりやすく解説します。

Z旗(ゼットキ)とは何か?

Z旗
Z旗

Z旗とは、黄・青・赤・黒の4色で構成された国際信号旗のひとつです。もともとは船舶間の通信に用いられる信号旗で、海上において一定の意味を伝えるために使われます。

現在の日本では、Z旗というと多くの人がまず日本海海戦を思い浮かべます。これは、明治38年(1905年)5月27日の日本海海戦で、連合艦隊旗艦「三笠」に掲げられたことによって、Z旗が単なる信号旗を超えて「決戦」や「勝負」を象徴する旗として記憶されるようになったためです。

Z旗の本来の意味

国際信号旗としてのZ旗は、本来「私は引き船がほしい」という意味で使われます。つまり、もともとの意味は軍事的な決戦や精神的象徴とは異なり、船舶運航上の意思表示に属するものです。

それにもかかわらず、日本ではZがアルファベットの最後の文字であることから、「この戦いに敗れれば後がない」という連想も重なり、決戦の旗として特別な意味を帯びていきました。

日本海海戦でZ旗が有名になった理由

Z旗がもっとも有名になったのは、日露戦争における日本海海戦です。1905年5月27日、東郷平八郎率いる連合艦隊は、ロシアのバルチック艦隊を迎え撃つにあたり、旗艦「三笠」にZ旗を掲げました。

このときの意味として広く知られているのが、次の言葉です。

皇国の興廃この一戦にあり 各員一層奮励努力せよ

この文言は、連合艦隊参謀・秋山真之の草案によるものとして知られています。Z旗は、この言葉とともに、艦隊全体の士気を高める象徴となりました。

なぜZ旗が選ばれたのか

Z旗が特別視される背景には、イギリス海軍のネルソン提督の影響があるとされています。トラファルガー海戦の時、「英国は各人がその義務を尽くすことを期待する」 という意味を込めて、 はじめて用いたと云われます。

日本海軍は近代化の過程でイギリス海軍の影響を強く受けており、日本海海戦におけるZ旗の掲揚にも、その伝統を意識した面があったと考えられます。

つまりZ旗は、単なる「最後の文字」だから選ばれたというだけでなく、近代海軍の伝統や精神を受け継いだ象徴でもあったのです。

トラファルガーの海戦

1805年、ネルソン提督指揮のイギリス艦隊がフランス・スペイン連合艦隊を、ジブラルタル海峡北西のトラファルガー岬沖で撃破した海戦。この結果、イギリスは制海権を掌握し、ナポレオンのイギリス本土上陸作戦は挫折した。

ネルソン提督 Horatio Nelson

1758年~1805年
イギリスの海軍軍人で、世界三大提督の一人。フランス革命戦争中、1794年コルシカ攻略に際して片眼を失い、またカナリア諸島の戦いで右腕を失う。
1797年セント・ヴィンセント岬沖海戦に功を立て、翌年アブキール湾の戦いにフランス艦隊を破る。
1801年子爵、1803年地中海艦隊司令長官となる。
1805年トラファルガーの海戦で勝利するも、艦上で戦死する。

*世界三大提督とはネルソン(英)、ジョン・ポール・ジョーンズ(米)、東郷平八郎(日)の3人

三笠艦橋の図

先刻の信号、整へり。直ちに掲揚すべきか。
「先刻の信号」というのはかねて用意した特別の旗旒信号のことで、のちに有名になるZ旗がそれであった。
真之が許可を乞うと、東郷はうなずいた。
真之が、すぐ信号長へ合図した。四色の旗はやがて飄風のなかに舞い上がった。

小説『坂の上の雲』(運命の海)より

Z旗の意味を語るうえで欠かせないのが、参謀・秋山真之です。秋山真之は連合艦隊の作戦立案に深く関わった人物であり、日本海海戦でも重要な役割を果たしました。

日本海海戦:日露戦争

トラファルガーの海戦より100年後の、1905年(明治38年)5月27日、日本海海戦において、 ロシアの バルチック艦隊を目前にした日本連合艦隊旗艦「三笠」が、 ネルソンに倣い、

「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」(連合艦隊参謀・秋山真之の草案)

という意味を込め、士気の高陽を図るため使用します 。

このことについて、後にアメリカの海軍軍人で戦略家のマハンはこう述べています

然るにこの信号はその一半後訳されて左の如く海外に報道せられたり。

“The destiny of our Empire depends upon this action. You are all expected to do your utmost”
(皇国の興廃此一戦に在り、各員最上の努力をなさんことを期待せらる)

一見明かなる如く、後半はトラファルガーに於けるネルソンの有名なる信号を学びし如き形に変造せられしこと遺憾なり。然れども、当時欧米に於て模倣として笑する者なく、皆これを歎美し、全艦隊を激励せしこと深かるべきを説けたり

マハン大佐戦評(『コリーアス誌』1905年6月より)

一方で、伊予水軍の末裔である秋山真之が研究した、「能島流海賊古法」に記されている、

「主戦とは我亭主となり彼客となるの意なり 主戦は客戦と違い兵糧武具何事に付けても求め易けれども、 勝利を得ざれば国の存亡にもかかる故に、客戦よりも大切なり」

にも通じていると云われます。

太平洋戦争でも使われたZ旗

日本海海戦の大勝利の後、日本海軍では重要な海戦の際にZ旗を掲げることが慣例化しました。太平洋戦争の真珠湾攻撃でも、空母「赤城」にZ旗が掲げられたことで知られています。

このときにも、国家の命運をかけた重大な作戦であるという認識のもと、Z旗は決戦の象徴として受け継がれていました。日本海海戦の成功体験が、その後の海軍にも強い影響を与えていたことがうかがえます。

真珠湾攻撃:太平洋戦争

日本海海戦の大勝利の後にも、日本海軍では重要な海戦の際に、Z旗を掲げることが慣例化します。
太平洋戦争の真珠湾攻撃の際、奇襲部隊の空母「赤城」もZ旗を掲げています。その時の長官訓示が下記となります。

「皇国の興廃繋りて此の征戦に在り、粉骨砕身各員其の任務を全うせよ」
(連合艦隊参謀長・宇垣纏の起案)

現代に残るZ旗のイメージ

東郷神社の勝守
東郷神社の勝守

Z旗は軍事の世界だけにとどまらず、現代では「勝負の象徴」「ここ一番のしるし」として広く使われています。

たとえば、企業の開発競争やスポーツ、受験、選挙など、「絶対に負けられない局面」を表す言葉やモチーフとしてZ旗が引かれることがあります。

もともとは国際信号旗でありながら、日本では日本海海戦の記憶を通じて、精神的な象徴へと変化していったわけです。

例えば、トヨタ自動車は、1966年(昭和41年)、日産サニーに対抗する新エンジンの開発を急いでいました。昼夜問わず、設計変更を繰り返し試作しますが、その時の関連書類にはすべて朱色の「Z」印が押されます。日露戦争の日本海海戦で掲げられた「Z旗」に因んで、「すべての作業に優先せよ」 という意味が込められていたのでした。こうして誕生した車が「初代カローラ」です。

一方、スポーツカー開発に社運をかけた日産自動車は、開発工場に「Z旗」を掲げます。これに因み名づけられた車が「フェアレディZ」になります。

また、スポーツ競技でも、2007年(平成19年)の「第83回東京箱根間往復大学駅伝競走」で、5年ぶりのシード権獲得した古豪早稲田大学のエンジの襷には、勝利を願う「Z旗の勝守」が縫い付けられていました。

よくある疑問

Z旗とは簡単にいうと何ですか?

国際信号旗のひとつであり、日本では日本海海戦で掲げられた「決戦の旗」として有名です。

Z旗の本来の意味は何ですか?

国際信号旗としては「私は引き船がほしい」という意味です。

なぜ日本海海戦で有名なのですか?

1905年の日本海海戦で旗艦「三笠」に掲げられ、「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」という決戦の意思を示す旗として知られるようになったためです。

まとめ

Z旗とは、本来は国際信号旗のひとつですが、日本では日本海海戦によって特別な意味を持つようになりました。

旗艦「三笠」に掲げられたZ旗は、連合艦隊の覚悟と士気を象徴する存在となり、その後も真珠湾攻撃など重要な局面で用いられました。さらに現代では、勝負どころを示す象徴として、スポーツや企業活動にもそのイメージが受け継がれています。

Z旗を知ることは、日本海海戦だけでなく、明治日本がどのように近代国家として戦いに臨んだかを知ることにもつながります。

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