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軍神・広瀬武夫の人物評

  • 公開日:2022/06/24
  • 最終更新日:2022/07/03
広瀬武夫

目次

1. 広瀬武夫とは
広瀬武夫

1868年(慶応4年)5月27日、豊後国竹田町(大分県竹田市)に生まれる。父は岡藩士で、幕末期に倒幕に加わり、明治維新後は裁判官として大阪・岐阜など各地に赴任。海軍少将広瀬勝比古は実兄。

1885年(明治18年)、兄・勝比古と同じく海軍兵学校に入校(15期生)。
*同年生まれの秋山真之は17期生

海外留学

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日清戦争従軍後、広瀬は必ずやロシアと戦うときがくると考え、これに勝つにはロシア語を知り、ロシア海軍を研究しなければならないと考え、早くから独学でロシア語を学ぶ。

それが認められて、1897年(明治30年)にロシアに留学及び駐在する。留学中にロシア各地の海軍工廠や造船所・軍港などの海軍施設をよく見学する。

1899年(明治32年)にはロシア留学からロシア駐在に変わり、イギリス・フランス・ドイツの海軍施設も視察して其の戦力を詳しく調べている。

1902年(明治35年)に帰国することになるが、その際にはイルツークまでは鉄道に乗って、其の輸送能力を調べ、そこからは雪中のシベリアをソリで横断し内情を探った。

日露戦争

戦艦「朝日」の水雷長として日露戦争に出征、日露開戦で海軍の当座の敵はロシア旅順艦隊だったが、これを旅順港に閉塞させる作戦が発動、第一回の「報国丸」、ついで第2回の「福井丸」指揮官として参加する。

「福井丸」自沈用の爆発点火に船倉に降りた杉野孫七上等兵曹が帰らず、他の乗員をカッターに移らせ、「杉野、杉野」と杉野上等兵槽を三度に渉り船内に捜したが発見できず、カッターに移乗して離船した瞬間に敵弾が命中、数片の肉片を残して戦死。その部下を思っての死は「軍神」として伝説化され、国民的英雄となった。

酒も煙草も遠ざけ、生涯独身を通したが、ロシアの日本大使館付武官時代、海軍省水路部長子爵ウラジミール・コヴァレフスキー少将の次女、アリアズナとのロマンスの経験をもつなど、深い教養と誠実で明るい人柄の魅力的な人物でもあった。

2. 広瀬武夫と秋山真之、肝胆相照らす

秋山真之
秋山真之

広瀬武夫と秋山真之は同窓ではなかったが、互いに心の底まで打ち明けて親しくつきあう仲でした。 この二人が相知るようになったきっかけは、八代六郎大将の仲介でした。

広瀬武夫は秋山真之より一級上であり、八代大将は二人の兵学校時代の教官でした。八代大将と広瀬とは共に柔道好きであったので、八代大将の独身時代はその家を道場のようにしてドッタン、バッタンやっていました。そんな関係で八代大将は広瀬をこの上なく愛していたし、勢い、八代大将を介し、八代大将を中心として両雄相結ぶようになったのでした。

秋山真之は同輩には常に優越を感じていたので、対等の気持ちで交際する場合は少なかったが、広瀬中佐とは全く相信頼し相尊敬しあっていました。四谷で一戸を借りて二人で同棲していた事もあり、何しろ豪快そのもののような二人の合宿であったから、その生活は乱暴極まるもので、カゴの中に幾日分ものパンを入れて置いて、それでご飯も炊かねばお茶も沸かさず、パンと水ばかりで生活するというような有様でした。

二人の住居の真向かいの屋敷の女中は、
「広瀬さんはという方は顔が恐ろしくて武張った人であるけれども、つきあって見ると案外優しい人で近づきやすいが、秋山さんという方は、顔はそれほどでもなく、背も低いが、何となく恐ろしくて近づきにくい人でした」
と云っていたそうです。

『提督秋山眞之』(広瀬中佐と提督)より

3. 広瀬中佐を弔う

東郷平八郎

連合艦隊司令長官東郷平八郎、麾下一同を代表し、謹んで故海軍中佐広瀬武夫君の霊に告ぐ、君在世の間豪邁不撓の心を以て能く軍事に尽瘁し、今回敵港閉塞せんとするに当り前後二回、其業に従事して具に辛酸を嘗め、而も従容として最も能く其功を奏し、終に敵弾の為めに斃る、君の如きは真の其終を全うしたるものと謂つべし、嗚呼今や軍国多事、君の如き勇士の貢献に待つ所多し、而して君既に亡し、豈に哀悼に堪う可けんや、然れども君が功績は不滅の好鑑を遺し、其威風は能く後生を起さしむるに足る、君以て快とすべし、而して君が薫陶せる許多の健児と、巍然たる艨艟とは我に健在す、其終局の戦捷を収めんこと蓋し遠きにあらざるべきを信ず、君亦以て瞑すべし、恭しく弔す。

乃木希典

謹んで海軍中佐広瀬君の霊に告ぐ、嗚呼君の功や偉大、君の死や壮烈、世を挙りて君の名を嘖々し、君の精神を欽慕する洵とに宜なる哉、而して吾人の特に感謝せざるべからざるは精神上の教訓を垂れられたること是なり、君の徳に感じ、君の志を継ぐ者応さに長へに尽るなけん、嗚呼君は萬古死せざる人と謂うべし、今や質素にして盛大なる君の葬儀に方り、桜花爛漫沿道に送迎し、君の雄魂を慰めんとす、是れ亦天意と人心とを表するに庶幾し、謹んで弔す。

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