下総成田(新勝寺)

神護新勝寺と号す
本尊は弘法大師の彫作にして実に天慶年間の草創に係る
爾後霊験灼然賽人踵を接す
其の堂宇の壮麗なる当国に冠たり
境内の小堂及奉納等の物像又見るべき者多し
明治33年発行『日本名勝百景』より
新勝寺の概要

- 別称
- 成田不動とも
- 所在地
- 千葉県成田市成田
- 宗派
- 真言宗智山派
- 寺格
- 別格大本山
- 山号
- 成田山
寺伝によれば、940年(天慶3年)に平将門の乱を鎮めるため、京都遍照寺の寛朝が神護寺護摩堂の本尊である不動明王像を奉じて下総に下向し、祈祷を行ったことに始まる。
元禄年間に寺基を現在地に移転し、佐倉藩主や桂昌院の庇護を得て大いに栄えた。
1703年(元禄16年)から幕末まで通算11回を数えた江戸出開帳や、歌舞伎役者市川団十郎が屋号を成田屋として「不動尊霊験記」を上演したことなどで成田不動信仰が広まり、江戸庶民の成田詣が盛んになった。
本尊の木造不動明王像および二童子象は鎌倉後期の作で重要文化財。