京都知恩院
華頂山大谷寺と号し東山第一の巨刹にして境地の秀麗楼台と相映じ頗る壮観なり
廊下は有名なる鶯張、襖は狩野諸家の名画に埋む
勢至堂紫雲水法然の廟、一心院の大鏡等著名なり
明治33年発行『日本名勝百景』より
知恩院の概要
- 所在地
- 京都市東山区
- 宗派
- 浄土宗
- 寺格
- 総本山
- 山号
- 華頂山
華頂山大谷寺知恩教院と号す。
法然房源空が30年あまり住んだ吉水房と、配流ののち帰郷して入滅した大谷禅房の地にあたる。
法然没後、門弟たちは遺骸を葬る廟堂をたて知恩講を行ったが、1227年(安貞元年)比叡山の衆徒によって破壊された。1234年(文暦元年)源智が再興、現在の寺号を与えられたという。
室町時代には知恩寺と争い、1575年(天正3年)正親町天皇の論旨によって浄土宗の本寺となった。
のち徳川家康が徳川家の香華寺と定め、一大伽藍を建立、宮門跡が迎えられて隆盛した。
明治維新後、宮門跡は廃止されて寺領を失ったが復興された。
多くの寺宝がある。