長門赤間関(下関)
豊浦郡の南端に位し南一海峡を隔てて豊前に対する市坊にして丘陵を負い前は硯の海に瀕し東に有名なる壇の浦あり
其後山に登臨せば山光水色満目眺嘱恰も画図の如し
明治33年発行『日本名勝百景』より
現代語
豊浦郡の南端に位置し、南一海峡を挟んで豊前と向かい合う町には丘陵が広がり、前面は硯のような海に面しています。東側には有名な壇ノ浦が広がっています。山に登れば、周囲の山々や水面が目に広がり、まるで絵のような美しい景色を楽しむことができます。
下関の概要
赤間関は、現在の山口県下関市赤間町付近に存在した古代の長門関の別称です。この名称は最初に「類聚三代格」の貞観11年(869年)9月27日の官府の記録で見られます。この赤間関の名は、789年(延暦8年)に廃止された摂津関や、838年(承和5年)頃の大輪田船瀬の関と関連がある可能性が考えられます。時が経つにつれ、長門関は消滅し、赤間関が成立しました。これにより、山口県上関町に存在した竈戸関(上関)と対比して、赤間関は「下関」として称されるようになったとされています。