秋山兄弟の母、秋山貞(山口貞)
秋山貞(山口貞) 1827年(文政10年)、松山藩士山口正貞の二女として生まれる。 25歳の時に、貞は、 「親のいいつけだったらどこへでも行きますし、若い時の苦労はどんな苦労でも構いませんが、どうか老後だけは安楽に暮らし […]
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秋山貞(山口貞) 1827年(文政10年)、松山藩士山口正貞の二女として生まれる。 25歳の時に、貞は、 「親のいいつけだったらどこへでも行きますし、若い時の苦労はどんな苦労でも構いませんが、どうか老後だけは安楽に暮らし […]
正岡八重 1845年(弘化2年)、伊予松山藩の藩校「明教館」の教授で漢学者の大原観山の長女として生まれる。 33歳の時に、御馬廻加番であった正岡常尚の後妻に入った。 常尚の先妻は、長男を生むとすぐに亡くなり、その長男も天 […]
秋山真之は、日頃から「大抵の人は、妻子を持つと共に片足を棺桶に突っ込み、半死し、進取の気象が衰えて退歩を重んじる」(天剣漫録)、すなわち、妻子を持つと挑戦する気持ちや意欲が衰え、後退や後ろ向きの行動を選びがちになるとの考 […]
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結婚生活の35年間、秋山好古はその半分以上家を留守にするが、家政の整理など、軍人の妻として秋山家を守った多美。 佐久間多美 旧旗本佐久間正辰の長女。 秋山好古が陸軍士官学校を出て下級将校の頃、麹町土手三番町の佐久間正節家 […]
正岡子規は著書『仰臥漫禄』で、妹律(りつ)のことを木石の如き女だの、強情だの冷淡だのと書きつらねます。しかし一方では、 「一日にても彼女なくば一家の車は其運転を止めると同時に余は殆ど生きて居られざるなり」 とも述べていま […]