東郷平八郎の経歴(官歴)
東郷平八郎の経歴
1847年(弘化4年)
- 12月22日
- 鹿児島城下、加治屋町の邸に誕生
1869年(明治2年)
- 「春日」艦乗員
1870年(明治3年)
- 12月11日
- 「龍驤」艦見習士官
1871年(明治4年)
- 3月12日
- 英国へ海軍修業として留学
1878年(明治11年)
- 1月31日
- 「比叡」艦乗組
- 7月3日
- 海軍中尉
- 12月27日
- 海軍大尉
1879年(明治12年)
- 12月27日
- 海軍少佐
- 鹿児島藩士海江田信義の長女てつと結婚
1884年(明治17年)
- 5月15日
- 「天城」艦長
1885年(明治18年)
- 6月20日
- 海軍中佐
- 6月22日
- 主船局出勤
- 7月7日
- 「大和」造船監督官
1886年(明治19年)
- 5月10日
- 「大和」艦長
- 7月13日
- 海軍大佐
- 9月7日
- 休職
- 11月22日
- 「浅間」艦長兼横須賀鎮守府兵器部長
1888年(明治21年)
- 10月18日
- 陞敍奏任官一等
1889年(明治22年)
- 7月1日
- 「比叡」艦長
- 7月2日
- 「浅間」艦長
1890年(明治23年)
- 5月13日
- 呉鎮守府参謀長
1891年(明治24年)
- 12月14日
- 「浪速」艦長
1892年(明治25年)
- 11月12日
- 高等官三等
1893年(明治26年)
- 2月8日
- 居留民保護のためホノルルに派遣
- 11月17日
- 居留民保護のためホノルルに派遣
1894年(明治27年)
- 4月23日
- 呉鎮守府海兵団長
- 6月8日
- 「浪速」艦長
- 7月25日
- 豊島沖海戦(高陞号を撃沈する)
1895年(明治28年)
- 2月16日
- 海軍少将。常備艦隊司令官
- 8月20日
- 功四級金鵄勲章並びに金500円
- 及び勲四等旭日小綬章を賜う
- 11月16日
- 海軍将官会議議員兼海軍技術会議議長
1896年(明治29年)
- 3月23日
- 海軍大学校長兼海軍将官会議議員、技術会議議長
- 11月5日
- 海軍将官会議議員兼海軍技術会議議長
1897年(明治30年)
- 3月31日
- 台湾地方において軍務に服し金700円を賜う
1898年(明治31年)
- 2月1日
- 海軍大学校長兼海軍将官会議議員、技術会議議長
- 5月14日
- 海軍中将
1899年(明治32年)
- 1月19日
- 佐世保鎮守府司令長官
1900年(明治33年)
- 5月20日
- 常備艦隊司令長官
1901年(明治34年)
- 7月19日
- 勲一等旭日大綬章及び金3,700円を賜う
- 10月1日
- 舞鶴鎮守府司令長官
1903年(明治36年)
- 9月30日
- 敍従三位
- 10月19日
- 常備艦隊司令長官
- 12月28日
- 第一艦隊司令長官兼連合艦隊司令長官
1904年(明治37年)
- 2月6日
- 佐世保出航(日露戦争開戦)
- 6月6日
- 海軍大将
- 8月10日
- 黄海海戦
1905年(明治38年)
- 5月27日
- 日本海海戦
- 12月20日
- 海軍軍令部長兼海軍将官会議議員
1906年(明治39年)
- 4月1日
- 功一級金鵄勲章並びに金1,500円
- 大勲位菊花大綬章を賜う
- 10月20日
- 敍正三位
1907年(明治40年)
- 9月21日
- 伯爵
- 皇太子殿下韓国渡航並びに九州中国行啓に随行
1909年(明治42年)
- 12月1日
- 軍事参議官
1911年(明治44年)
- 2月14日
- グレートブリテン皇帝戴冠式参列に随行
- 10月30日
- 敍従二位
1913年(大正2年)
- 4月21日
- 元帥府
1914年(大正3年)
- 4月1日
- 東宮御学問所総裁
1915年(大正4年)
- 11月7日
- 金杯一組賜う
1918年(大正7年)
- 11月20日
- 敍正二位
1919年(大正8年)
- 5月7日
- 金杯一組賜う
1920年(大正9年)
- 2月27日
- 議定官
- 11月1日
- 金杯一組賜う
1921年(大正10年)
- 3月1日
- 辞職
1926年(大正15年)
- 1月7日
- 老年につき宮中での杖を許される
- 1月15日
- 銀杯賜う
- 12月11日
- 菊花章頸飾
1934年(昭和9年)
- 5月29日
- 侯爵
- 5月30日
- 死去
- 6月4日
- 誄を賜う
- 6月5日
- 国葬