大阪四天王寺
天王寺村にあり荒陵山と号す
本尊如意輪観音にして名高き古刹とす
古へ聖徳太子の経文を古蹟なりと堂北に古鐘ありて無常寺の鐘と称せり
境内桜樹萩草を多栽し公園とす
明治33年発行『日本名勝百景』より
四天王寺の概要
- 別称
- 荒陵寺・難波(大)寺・堀江寺・天王寺とも
- 所在地
- 大阪市天王寺区
- 宗派
- 和宗
- 寺格
- 総本山
- 山号
- 荒陵山
「日本書紀」では用明2年、蘇我馬子による物部氏討伐に従軍した厩戸王子(聖徳太子)が四天王像を刻み、造寺を誓って戦勝を祈願、593年(推古元年)に難波の荒陵に当寺を建立したと伝える。
623年には新羅から贈られた舎利や金塔などを納めた。この頃いわゆる四天王寺式伽藍配置が整えられた。
平安時代には太子信仰の隆盛で貴族や庶民の信仰を集めた。また浄土信仰の隆盛にともなって、浄土の入口と観念されるようになり、正門から夕日を拝む行為が流行し、海に入水する者もあった。
河内・摂津両国に多くの寺領をもち、たびたび罹災したが復興された。当時には敬田院・施薬院・悲田院・療病院の四院が存在し、仏教的実践としての社会福祉事業の拠点とされ、忍性も別当として入寺した。
1576年(天正4年)にも石山合戦の兵火をこうむったが、のち豊臣秀頼により復興された。