伊勢大神宮(伊勢神宮)
本邦の宗廟にして天照大神を祀る
宮域六十七町余附属の神苑九千六百三十歩あり
東南の丘陵を神路山と云い五十鈴川其の麓を流れ山水の風光自ら森厳坐に神威の灼然たるを覚へしむ
明治33年発行『日本名勝百景』より
現代語
日本の神社の中で、天照大神を祀っている。神社の敷地は7.3kmもあり、その中には6.7kmの神の庭が含まれている。東南の小高い丘を神路山と言い、その足元に五十鈴川が流れている。この自然の風景は、自然として荘厳な雰囲気を持ち、神の力が強く感じられる。
伊勢神宮の概要
- 鎮座地
- 三重県伊勢市
- 別称
- 内宮を伊須受(いすず)宮・天照皇大神宮とも
外宮を豊受宮・止由気(とゆけ)宮・度会(わたらい)宮とも - 祭神
- 内宮が天照大神、相殿に天手力男(たぢからお)神・万幡豊秋津姫(よろづはたとよあきつひめ)命
外宮が豊受大神、相殿に三座(神名不明)
皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)は、両社に所属する官社の総称として知られています。古くは伊勢大神宮や二所大神宮などと呼ばれていましたが、現在は神宮が正式名称となっています。
内宮の起源に関しては、垂仁25年に諸国巡幸の後に当地に鎮座したのが始まりと伝えられていますが、この地にはもともと地方神が祭られていたこともあり、五世紀から六世紀頃に天照大神が畿内から移されたという説も存在します。一方、外宮は雄略22年に天照大神の神慮により御饌都神原に遷座されたとされており、元々伊勢の地方神であったという説もあります。
中央の氏族である大中臣氏が祭主・宮司を務めており、内宮には荒木田氏、外宮には度会氏が禰宜として奉仕していました。七世紀末には式年遷宮が開始され、律令制下では斎宮が置かれ、最高の国家祭祀の対象となりました。この期間中、天皇以外の私的奉幣が禁止されました。
平安末期からは神領や神宝の寄進が盛んになり、御師の制度が発展。近世には各地で伊勢講が結成され、多くの庶民が参詣してきました。明治期には神宮制度の大改革が行われ、国家神道の中心としての役割を果たしました。
そして、第二次大戦後には宗教法人として位置付けられました。