明石元二郎と秋山好古の卓論:第一次世界大戦の行方
秋山好古と明石元二郎は囲碁の好敵手でした。
明石元二郎(あかしもとじろう)と云えば、日露戦争時のロシアに対する諜報活動で著名な陸軍軍人です。彼はロシア公使館付武官として任命され、ロシアの政情不安を利用して反皇帝勢力と連携し、ロシアを内部から弱体化させるという任務を受けました。日露戦争開戦と同時に、彼は拠点をストックホルムに移し、フィンランドの過激反抗党の党首シリヤスクと共に反ロシア活動家を集めました。明石の活動により、ロシア国内ではデモや要人暗殺が続発し、ロシアは革命運動の鎮圧のため、日本との戦争だけに兵力を割けなくなります。これが、日本軍の勝利の一因となりました。
この二人の囲碁にまつわるお話をご紹介いたします。
1. 碁盤上の信玄と謙信
ある日、秋山好古が明石元二郎のところにやってきます。
一局どうだ?敵討ちに来たぞ。
と、いつもの碁を挑みに来ました。
うん、やってもいいけど、返り討ちにされる覚悟はあるか?
馬鹿を言うな!今のところ君の方が負け越してるじゃないか。
いや、そうじゃない、僕の方が一面(1回)だけ勝ち越している!
ハハハ、一面ぐらいじゃ心細いわ。でも、まあどっちにしても互角の敵だ。まるで武田信玄と上杉謙信といったところだな。
ハハハ、それにしては二人とも弱すぎる武田と上杉だね。
いやいや、そんなこと言っちゃいけないよ。年中二人だけで闘っていれば、天下に二人の外に敵はいないって思えるじゃないか。
ハハハ、負け惜しみが強いの。しかし全くのところ、二人の碁は二人だけのもので、他の人と打ってもどうも面白い碁にはならんね。
まあ、正直に言えばその通りだ。
2. 策略の裏側:明石が予見する戦局の変化
それにしても、ヨーロッパの情勢がちょっと変なことになってきたじゃないか。日露戦争のときに君がやりかけたことを、今度はドイツが引き継いでやり始めたよ
ロシアの過激派をドイツが利用して、ロシアを根底から覆そうとしていることか。
そう、それだ。
あれをどう思う?
さすがにドイツは凄い腕だと思うね。良いところに目をつけたよ。あれで連合軍の勢力はかなり削がれてしまうだろう。
いや、ところがそうじゃない。もともとロシアの過激派という奴は、火の玉と同じだ。
と、明石は静かに説明を始めます。
ドイツはその火の玉を握って投げつけているけど、投げつけられた場所が焼かれるのは当然だが、火の玉を握って投げる奴も火傷をするに決まっている。特に、たくさん投げるうちには投げ損ねることもあるだろう。その時は、自分の周りまで焼かれることになるだろうね。あのドイツの政策は、ロシアに致命傷を与えると同時に、ドイツ自身も重傷を負うことになるだろうよ。
秋山は「なるほど」と思った。しかし、
しかし君、君もその火の玉を掴んだ人間じゃないか?
いや、僕は掴んだんじゃない。火の玉の側まで行って、マッチで火をつけただけだよ。だから火の玉で焼かれる恐れはなかったんだ。
なるほど。過激派を火の玉とは、うまい事言うな。
とにかく、火の玉の勢いが、現にドイツの戦線の上に現れているじゃないか。
近頃、ドイツが盛んに退却しているということか?
そうさ。
あれは本当の退却じゃないだろう。牽制しているんじゃないか?
いや、牽制じゃない。牽制なら一部だけが退却するはずだけど、最近の状況を見ると全体的に退却している。あれを見ると、掴んだ火の玉が手元で燃え広がって、ドイツの内部にもだいぶ火傷ができているんだろうと思うよ。多分この観察は間違いないと思う。
うん、そう言われれば確かにそうだな。
まあ、何でもいい、一局こっちの勝敗を決めようや。
ははは、一度ぐらいは持たせてあげてもいいぞ。
馬鹿を言え。ハハハ。
ハハハ。
そう言いながら、二人は碁を打ち始めます。
出典:『明石大将伝』杉山其日庵 著 博文館, 大正10年
3. ドイツの混乱と敗戦
明石元二郎の予見通り、ロシア革命の影響により、1918年の秋にドイツ国内でも革命が勃発します。この革命はドイツ国内の政治的な不安と社会的不満が高まった結果、皇帝ヴィルヘルム2世の退位をもたらしました。ドイツ帝国の崩壊とともに、戦争の継続が困難になり、新たに成立したヴァイマール共和国は戦争の終結を急ぐ必要がありました。
この革命によって、ドイツの戦局は混乱を極めました。軍の士気が低下し、戦争の指導部も一体感を欠くようになりました。戦局の混乱と国内の動揺が相まって、ドイツは戦争を続ける力を失い、連合国との講和交渉を始めることとなりました。
1918年11月11日、ドイツと連合国との間で休戦協定が結ばれ、戦闘が停止しました。この休戦は戦争の事実上の終結を意味し、ドイツが戦争から撤退することを決定づけました。その後、1919年にはヴェルサイユ条約が締結され、戦争の正式な終結が宣言されました。この条約はドイツに対して厳しい条件を課し、領土の縮小や賠償金の支払い、軍事制限などが含まれていました。これにより、戦後のドイツは政治的な混乱と経済的な困難に直面し、国際的にも孤立することとなりました。