「三笠艦橋の図」の真実
有名な日本海海戦における東城鉦太郎作画の「三笠艦橋の図」です。
ただこの絵、ある点において史実通りに描けていません。
さてそれはどこでしょうか?
正解は、東郷平八郎(中央)の左後ろに構える秋山真之の恰好です。
小説『坂の上の雲』によると、
真之は他の幕僚と同様、紺の軍装である。
小説『坂の上の雲』(抜錨)より
ただこの男は、軍服の上位の上に剣帯の革ベルトを巻いて締め上げて艦橋にあらわれた。
(中略)
「褌論」
というのが、真之の持論であった。かれは褌(ふんどし)の文字が衣ヘンに軍と書くのは臍下丹田(せいかたんでん)をひきしめて胆力を発揮するためのもので、戦さはそれで臨まねばならぬ、とかねがねいっていたが、剣帯のベルトを褌がわりにして出て来ようとは、たれの目にも意外だった。
と、秋山真之は、服装規定に違反する一種異様な風体で艦橋に立ちました。
戦争が終った後に、東城画伯が日本海海戦の絵を描くということになりましたが、
中佐(秋山真之)の恰好は妙ではあるが、やはりそのまま描くのがもっともであろう
ということに決まります。
が、やはり恥ずかしかったのか、秋山真之自身から
それだけは勘弁してもらいたい(汗)
と云われ、三笠艦橋の図は他の者と同様に剣帯を上衣の下に帯びた姿に描かれたということです。