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連合艦隊旗艦「三笠」の概要

  • 公開日:2022/07/31
  • 最終更新日:2026/04/22
記念艦三笠

日露戦争において、日本海軍の象徴ともいえる存在――それが戦艦「三笠」です。
東郷平八郎率いる連合艦隊の旗艦として、黄海海戦・日本海海戦の両戦いにおいて中心的役割を果たしました。

本記事では、「三笠」が誕生した背景から戦歴、そして戦後の保存に至るまでの歩みを、ひとつの流れとして整理します。

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戦艦「三笠」とは

戦艦三笠

日清戦争後、日本海軍はロシアとの対決を見据え、「六・六艦隊」整備計画を推進しました。
これは戦艦6隻・装甲巡洋艦6隻を中核とする大規模な海軍拡張計画です。

この計画は1896年(明治29年)から1905年(明治38年)までの10年計画であり、

  • 総艦艇数:約103隻
  • 総排水量:約153,000トン
  • 総事業費:約2億1,310万円

という、当時の国家財政規模から見ても極めて大きな事業でした。
(当時の国家予算は約2億5,000万円)

その最終戦艦として建造されたのが「三笠」です。

  • 1898年:英国ヴィッカース社に発注
  • 1900年:進水
  • 1901年:竣工(イギリス・サウサンプトン)
  • 同年:横須賀へ回航

こうして完成した「三笠」は、日露戦争において

  • 黄海海戦
  • 日本海海戦

の両戦いで連合艦隊の旗艦を務め、常に第一戦隊の先頭に立つ「嚮導艦」として活躍しました。

日露戦争後の「三笠」

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1905年9月5日、ポーツマス条約により日露戦争は終結します。

しかしそのわずか6日後の9月11日、佐世保港に停泊していた「三笠」は弾薬庫の爆発事故により沈没してしまいます。

この事故は戦後間もない日本に大きな衝撃を与えました。

その後、

  • 翌年:引き揚げ・修復
  • 第一次世界大戦:参加
  • 1921年:アスコルド水道で座礁
  • 1923年:関東大震災で損傷

と波乱の運命をたどります。

そしてワシントン海軍軍縮条約により現役を退き、記念艦として保存されることが決定されました。

1926年には横須賀で保存工事が完了し、「記念艦三笠」として公開されます。

なお、日本海海戦が行われた5月27日は「海軍記念日」とされ、戦前には国家的行事として盛大に祝われていました。

第二次大戦後の「三笠」

第二次世界大戦後、「三笠」は連合軍に接収され、

  • 保存組織の解散
  • 娯楽施設としての転用

などにより、著しく荒廃してしまいます。

この状況を憂えたのが、

  • イギリス人ジャーナリスト
  • アメリカ海軍提督 チェスター・ニミッツ

でした。

ニミッツは三笠保存の必要性を訴え、自身の著作の収益を寄付するなどして復元運動を後押しします。

その結果、

  • 1958年:三笠保存会再建
  • 1959年:復元工事開始
  • 1961年:復元記念式典

と、現在の姿へとよみがえりました。

現在も横須賀の三笠公園では、毎年5月27日に「日本海海戦記念式典」が開催されています。

まとめ

戦艦「三笠」は単なる軍艦ではなく、

  • 日本海軍の象徴
  • 近代国家形成の象徴
  • 戦後復興と国際協力の象徴

という複数の意味を持つ存在です。

その歩みをたどることで、日本の近代史そのものが見えてくると言えるでしょう。

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