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広瀬武夫の人となりが表れる逸話4選

  • 公開日:2022/06/25
  • 最終更新日:2022/07/03
広瀬武夫

1. 広瀬武夫の大食漢

広瀬武夫が17、8歳で、まだ海軍士官でなかった頃の話です。広瀬は鰻丼なら5杯、お鮨なら10人前を平気で食べる大食漢であったそうです。

ある日、広瀬武夫が東京本所区花町のお祖母さん(継母のお母さん)の家に遊びに行った時のことです。 お祖母さんは、お茶を入れて上げたのでしたが、生憎とお菓子が無かったので、一斤(600グラム)ほど砂糖の入っている大きな瓶を差し出しすと、武夫はお茶を飲みながら、ポツポツと砂糖を舐めていました。

流石にお祖母さんは可愛い孫がわざわざ来たのに、美味しい物が無いのは気の毒だと思い、

武夫さん、ちょっと待っておいで、今お汁粉を買って来てあげるから

と云って家を出て、近所の汁粉屋から、30銭程のお汁粉を買って鍋に入れ、それを下げて家へ帰って来ましたが、田舎汁粉の事だから甘くなかろうと思い、

武夫さん、このお汁粉を美味くして上げるから、砂糖の瓶を持ってお出で

と云うと、武夫は笑いながら

お祖母さん、ダメだよ、もう砂糖はすっかり舐めてしまった

と云ったので、お祖母さんはすっかり呆れて、

おや、おや、おや、一斤の砂糖をおまえ一人で舐めてしまったのかえ?それでは仕方がないから、甘くないお汁粉で辛抱をし

と云い、お汁粉の鍋をそこへ置き、今度は夕飯の支度に台所へ行きました。

しばらくして武夫の側へ帰って見ると、お汁粉の鍋はいつの間にかすっかり空になっていました。お祖母さんは、またまたびっくりして 、

おや、おや、おや、おや、お前、30銭のお汁粉を一人で食べてしまったのかえ?それではもう夕飯はたべられますまい

と云うと、武夫は平気で、

いいえ、僕は夕飯がどんなご馳走か楽しみにしています

と答えたといいます。

2. 広瀬武夫と清水次郎長

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かって海軍軍人が駿州の清水港に上陸したことがあった。その時50名程打連れて、名代の侠客清水次郎長親分を訪ねた。ところが、次郎長は一同を見渡して、

イヤこう見たところで男らしい男は一匹もいねーな

と傍若無人に言い放った。

あまりの暴言に、度肝を抜かれていると、座中の中から一人の若い士官が現れて、

おうおう、そう言うなら、一つ手並みを見せてやるから、びっくりするな

と言いはなち、いきなり鉄拳を固めて、自分の鳩尾(みぞおち)を5、60発程続け様に撲った。

これには次郎長もほとほと感心して、

なるほど、お前は男らしい

と云って、それからお互いに胸襟を開いて話をしたという。

この男らしい男は即ち軍人らしい軍人としてその一生を終った広瀬武夫その人であった。

3. 広瀬武夫、友人財部彪の結婚を反対する

広瀬武夫と財部彪は海軍兵学校の同期(15期)でもあり、互に認める友人であった。

その財部彪が山本権兵衛海相の娘を娶る事になった。広瀬はその報に接して驚き、

「これはいかん、財部のためにはなはだ不利益な結婚だ。これは止めねばならん!」

と山本海相の邸に走る。

山本海相に面会することができた広瀬は、海相を前にして声大にして曰く、

財部はご承知の通り海軍部内の秀才です。前途多望の男です。一身の栄達は固より期して待つべきで、僕等友人の固く信ずる所です。然るに今度お娘子と結婚の約が調ったそうですが、今財部が海軍大臣の娘婿となるにおいては、今後財部が自分一個の力によって、官職は位階の昇進する事があっても、世間ではこれを以て全く海軍大臣のおかげであるとする。海軍大臣の娘婿であるからだとして、非難こそあれど、誰も財部の技量を認める者はいないでしょう。だからこの結婚は財部の為に甚だ不利益で、財部の為に惜しまざるを得ません。この結婚は破談にして戴きたいことを僕は切に希望します。僕は財部の友人として、衷情黙視するに忍びないからお諌めに参りました。

と結婚の中止を諫言した。

しかし、広瀬武夫の諫言は聞き入られず、財部は山本海相の娘婿となったのでした。

4. ロシア婦人と腕相撲をして負けた広瀬武夫

広瀬武夫がロシア駐在中の話。広瀬はいろいろの競争をしてもロシア人に負けたことが一度もなかった。ある日、腕力のすぐれた一婦人に出会い、その婦人と腕相撲をしたが、相手を見縊ったせいか不幸にして負けてしまった。

女に負けた!いくら強いからとて、敵は女ではないか、日本の軍人が女に負けたというのは如何にも残念だ。何という恥かしいことだ。

と、歯を噛んでとても悔しがった。そして腕組みをしながら独り言を言った。

如何にも遺憾千万だ。どんなことがあってもこのままには置かれぬ。何とかして取り返さねばならぬ。彼も人だ、我も人だ、ましてや彼は婦人である。我は男子も男子、天晴れ日本の男子だ。改めて勝負をしょう。うんと腕を鍛え上げて、日本男子の恥辱をすすがねばならぬ。

こう思うと、広瀬は毎朝早く起きて、鉄亜鈴を振り回し、二週間余り懸命に腕力を鍛えた。

これなら大丈夫と思うと、再び婦人に戦いを挑んだ。僅かの間の練習ではあったが、広瀬の腕力は驚くべき進み、今度は何度競争してみても、いつも広瀬が勝った。さすがに腕自慢の婦人も、とうとう泣き出してしまったそうである。

例え相手が誰であろうと本気も本気、決して冗談半分でやるというようなことはしない。負けず嫌いな性質である上に、意志が非常に強くて、何でも思い込むと、どんな苦心をしても必ずそれを成しとおさなければ止まないという広瀬武夫でした。

出典:戦記名著集 熱血秘史 第7巻「広瀬中佐」より

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